最近見た映画は以下の通り。
・おくりびと 大変よい ☆☆☆☆☆
地味な内容だが、アカデミー賞外国語映画賞を受賞しただけあって、最後まで目が離せない良い映画だった。
相変わらずデスクワークが多いが、運動不足には心掛け次第でTV体操やバッティング・センター通いなど、もっと気軽に多目に行った方が良いと思っている。
仕事の方のチラシのポスティングや、信心の方のB内を回ったりでも、けっこう良い運動になっているのに今気づいた。
信心の方では、先日、聖教啓蒙が6Pできたので21Pとなり、今年の私個人の目標20P(3部以上)は、1年の3分の1にして達成することができた。
題目を従来よりさらに30分長く行うようにして2~3日目でこの結果である。
新聞啓蒙に限って言えば、このような快事は私の活動歴で初めてである。
新聞などを読むと、やっている人はこの何倍~何十倍も成果を上げている人もいる。
これに安住することなく、さらなる自己新記録を目指して行きたい。
教学について、「冥益」と「顕益」について考察してみたい。
信心は「冥益」が主である、との指導をよく聞く。
顕益はパッパッと願いが叶って良いように思えるが、消えて無くなるのも早いものだ。
卑近な例を挙げれば、少しぐらいの大金を得たとしても、遊び等に使ってしまえばすぐに消えてしまう。
顕益には永続性がないのだ。
それに対して冥益は、植えた種が数十年~数百年をかけて、誰もが仰ぎ見る風格ある大樹に育つように、時とともに盤石な境涯を築くことができる。
我々凡夫はありがちなこととして、今日植えた種に数日で大樹に育ってくれ、という道理に合わない焦りに似た考えを持ってしまうことがある。
『青春対話』という本で、一人で二つのノーベル賞を受賞したポーリング博士に、池田先生が「頭が良くなる薬は発明できますか?」と問う場面がある。
それに対するポーリング博士の答えは、「やっぱり、それは難しい。やはり自分で努力するしかないでしょう。自分で、うんと頭を使って、頭をしぼって、頭をいじめ抜いていけば、きっと素晴らしい頭脳になります」
それを聞いた先生は「私も、博士が正しいと思います。もしも『頭のよくなる薬』ができたら、それは麻薬のようなものです。だれも努力しなくなります。そうなれば人間崩壊です」と。
冥益・顕益についてもこの「頭が良くなる薬」に通じる所があると思う。
ちょっと祈ればパッパッと何でも簡単に叶ってしまったら、一見いいように思うかもしれないが、誰も真剣に努力しなくなり堕落していってしまうだろう。
人間が良く変わるどころか悪く変わっていってしまう。
もちろん顕益がいけないと否定するつもりはない。
何か大きな転機や悩みが起きた「いざという時」に、題目を唱えに唱え抜いて折伏をやり切って、明確なる勝利の実証を勝ち取ることは、「仏法は勝負」から言っても非常に大事なことだ。
あれも無い、これも無い、なんにも無い、しかしただ御本尊と学会の信心だけはある。
これでもよいと私は強く思う。
御本尊は「如意宝珠」であり「功徳聚【くどくじゅ】」である。
例え今はどのような姿であったとしても、強い祈りと行動さえあれば、あらゆる宝が得られる「打ち出の小槌」と言ってはもったいないが、祈りとして叶わざるなし、の御本尊なのだ。
どんな願いでも叶えることができる。
どんな宝でも引き出し、得ていくことができる。
強く願ったことは必ず叶う。
私もこの半生で、大なり小なりさまざまな功徳を頂き感謝している。
我が人生をかけて、いよいよの思いで実験証明していこうと、改めて決意している。
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