今まで座談会で何十回となく御書を担当させて頂きました。
その中で「我ながら今回はヒドイ出来だ」という失敗の講義を何度かしてしまいましたが、その中でもなぜか最悪だったのが「源遠長流御書」だったのです。
そういう訳で、半ば身勝手な理由からですが、何回かに分けて「源遠長流御書」の研鑽を、再度この場で行なっていきたいと思います。
源遠長流御書という別名を聞いてまず思いついたことを列挙いたします。
「源が遠ければ流れ長し」
と読み下しますが、この文言が今一つ実感として解らないのです。
そこで逆に考えてみることにしました。
1.(水)源の水量が不十分だったり、
2.流れが枯れてしまったり、
3.途中でせきとめられてしまったり、
・・・したとすれば、源遠ければ流れ長し とはなりません。
さらに別な見方では、(水)源はふつう山奥など、目につかない所にあります。
どのような大河も元をただせば水源にたどり着きます。
何千kmという大河川も、始まりの水源が確かであるからこそ大長流となります。
本抄では源遠長流とセットで、
「根深ければ枝栄える」
という譬えも出てきます。
源が遠い 根が深い =法華経
流れが近い 根が浅い =法華経以外の一切の経
と比較相対に使われています。
さらに主君に信心をさせようと奮闘した四条金吾の御信心の深さを、源が遠い 根が深い ゆえであると称えられているのです。
最後の方では、
「題目を唱うる人・如来の使なり、始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり」(1182ページ)
とご教示され、生涯不退の強き信心を貫くよう打ち込まれます。
(2)へ続く
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コメント
Unknown
源が遠い 根が深い =法華経
のたてわけで間違いはないと思いますが
「源が遠い」という譬喩が説明できていないのではないでしょうか。
水量の問題の着目点は良いと思いますが
下流では流れがあっても上流では流れがないこともありますよ(笑)
北海道の河川を思い浮かべてみてください。
「源が遠い」大河はすべて急峻な高峰から、そしていくつもの支流が集まって水量が多いのです。
根が深い は 容易に説明・理解できない「難解難入」と同義だとおもいます。
あべひさんへ
貴重なご意見ありがとうございます。
未だ連載1回目ということで、アドバイスも参考にしながら、1つずつ進めていきたいと思います。
2回目は四条金吾について書く予定です。
3回目から本編に入っていきます。
そちらのブログでも言及されたようですね。
関心を寄せて頂き嬉しく思います。
実は資格試験1ヶ月を切り追い込みです。
優先順位も考えながら、両立していきます。