【四条金吾について】
「源遠長流御書」を頂いた四条金吾は別の御抄で、日蓮大聖人から次のような2つの言葉を掛けられています。
「きわめて・まけ(不負)じたまし(魂)の人にて」(p.986)
「殿は一定・腹あしき相(そう)かを(面)に顕れたり」(p.1171)
鎌倉一帯の中心者の1人として、同志を思い護ろうとする熱誠と、大聖人の御一門を何をさて置いても第一に大事にしている四条金吾を、「極めて負けじ魂」の人であると讃嘆されています。
その一方で、
「短気・怒りの相が顔に現れていますよ。いかに大事な弟子であっても、腹悪しき人を天は護らないものですよ」
と大聖人から直接注意を頂くほどの、一本気と直情的な面も併せ持つ人物でした。
その四条金吾の性格・信心が最も現れたのが、竜ノ口の法難でした。
闇夜に乗じて秘密裏に暗殺を計った平左衛門尉の命令によって、竜ノ口の刑場に連れて行かれる大聖人から知らせを受け取った四条金吾は、草履も履き忘れて直ちに駆けつけました。
そして処刑が執行されようとする間際に、四条金吾が泣きながら「只今なり」と言うと、大聖人は、
「ふかくの殿ばらかな・これほどの悦びをば・わらへかし、いかに約束をば・たが(違)へらるるぞ」
との師弟の生死を超えた対話がなされます。
諸天善神を動かし無事に切り抜けた大聖人は、その後も事あるごとに、馬の口を取って刑場にまでお供した四条金吾の不惜の信心を、何度も讃えられます。
さらに四条金吾は「法華経の兵法」を御教示された御抄を頂くほどの武術の心得があり、医学にも通じていました。
特に医術については、病になった江間氏を献身的に治療して回復させ、それによって江間氏の信頼を大きく取り戻すことができました。
大聖人も金吾の医術を頼りにされ、病気の門下に紹介したり、大聖人御自身も晩年は金吾に看病を任せています。
本抄は弘安2年9月に、その四条金吾に与えられたお手紙です。
佐渡から生還された大聖人が身延に入られた後、金吾は主君の江間氏の折伏に果敢に挑戦します。
ところが、かえって主君から遠ざけられ、金吾に嫉妬した同僚の攻撃や、良観一派の謀略があり、所領没収の危機に直面しました。
法華経を捨てるとの起請文を書くか、さもなくば武士を辞めるか、どちらをかを選択せよ、と主君から迫られたのです。
金吾はこうした苦難にも負けず、師匠に逐次、報告・指導を受けて、弘安元年ごろには再び主君の厚い信頼を回復します。
それまでの3倍の領地を受けるなど見事な勝利の実証を示します。
その新たな領地を受けるという報告に対する御返事が本抄です。
金吾が主君を思って折伏した深い信心による功徳であると喜ばれます。
源が遠い川は流れが長いように、深い信心があれば遠い未来まで栄えていくに違いないと教えられます。
そして大難に遭いながら広宣流布を進める大聖人こそ、「如来の使い」であり、真実の「聖人」であると仰せになっています。
(3)へ続く
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コメント
Unknown
丁寧な解説ですね。
こういった文章(人物解説や背景等)をわかりやすく綴るのはなかなか難しい事だとおもいます。
でも確実に自分にも勉強になりますね。
こういう研鑽の記事こそ、在家への仏教解放を勧める学会員らしい企画だとおもいます。
無理をせずにすすめてください。
あべひさんへ
ご理解に感謝します。
ほんとうに自身がまず勉強になります。
ペースは速くないと思いますが、着実に進めていきます。