心の病になって私は、もうかれこれ23年になります。
しかも初の本流を決めて3~6ヵ月ほどで発症しました。
折伏を決めて、安心・油断はいけないと思いつつも、心のどこかではホッとした気持ちがあり、まず勤行・唱題が上がらなくなり会合からも足が遠のきました。
会社へ行く気力が無くなり、上司からの電話で、やっと昼ごろ出勤することが続きました。
出勤時間をある程度自由にしてくれるフレックス・タイム制に会社側もしてくれるなど、いろいろと手を打ってくれましたが、心の底から疲れ切った感じで、とにかく意欲が湧かないのです。
以前にも「昔の体験」としてこのブログへも書いたように、学会員としての私の行動への職場での無理解・いじめが続いた時期でもありました。
最初の病の兆しは、睡眠がなかなか取れなくなることから、始まりました。
病のきっかけや原因は、いろいろな要素が入り乱れていました。
ストレス耐性の低さなど、持って生まれた「認知のクセ」も原因だそうです。
折伏ができて安心・油断してしまったのも、大きかったようです。
しかしこの病になって今思うのは、きっかけとなった他人や社会を恨んでもいけないし、ましてや自分で自分を責めたり、自分の弱さを嘆いているだけでは、何の解決もないということです。
「私は病気だから」と言い訳に使えば、仕事からも信仰活動からも開放されるでしょう。
毎日毎日、真面目に題目を上げて活動をする必要もないし、仕事もしたくなければ全くしないで生きられる道もあります。
そいう生き方を選んだ人も多いようですが、大事なことは自分がどうしたいかです。
自分の人生の主人公は自分です。
どう生きるかの最終決定権は自分こそにあります。
私は同じ病の人に、「心の病はジョーカーの札のようなものだ」と、時々言います。
数ある持ち札の中の1つです。
ババ抜きのババのようにとらえてしまえば、この病は忌むべきものでしかなく、人生にとって重荷でしかありません。
しかしジョーカーという札は、使い方によってはオール・マイティの働きをする場合もあります。
時と場合によっては、何より強い札として使うことができます。
この一念の転換をさせてくれる根本力が、妙法だと思います。
次に、私はこの「~の病」という言い方が、どうにも好きになれません。
「病」という言葉には、最初から何か欠陥があるかのような、負のイメージが付きまとうからです。
「病」と実際に23年歩んできて思うのは、病には必ずプラスの面があるということです。
そう意味づけしていく生き方が、大事ではないかと考えるのです。
例えば、こう言ってみてはどうでしょうか。
「生き続けるために病む」
「健康を取り戻すために病む」
無理に無理を重ね、あとは過労死ししか待っていない人が、心の病となった場合は、ともかくもこの病になったお陰で生を続けることができます。
これが、「生き続けるために病む」ということです。
命あっての物種【ものだね】です。
何が大事って、命ほど大事なものは無いのですから。
「一病息災」と昔から言われる通り、1つ位の病があった方が、体を大事にするので、結果として長生きするそうです。
これが、「健康を取り戻すために病む」ということです。
逆に病知らずの頑健な人こそ、無理や不摂生をし過ぎるので、結果として寿命が短くなるそうです。
この他にも、病によって深い人生の智慧の眼が開けることを教えた格言・箴言【しんげん】も、古今東西、数多く残されています。
病に限らず、私たちが生きていく上で目の前に現れる問題は、その1つ1つが、1人1人に与えられた、言わば「人生の宿題」です。
ただ悲嘆に暮れて、それに翻弄【ほんろう】され振り回されているだけなら不幸です。
与えられた宿題にいかに見事な解答を与え、解決していくか、その過程で自分を成長させていくかが、人生の醍醐味ではないでしょうか。
終わりに、この病を通して私に関わってくれた医療関係者、患者仲間、支えて下さった同志、そして家族の1人1人に深い感謝を申し上げます。
コメント
心の。。。
病になった事がないのでレオさんの苦しみが
わかりませんが。。。
僕は 39歳の時
壮年部へ移行して ホッとしたり 日ごろの不摂生がたたり血圧が上200を越えて体調がおかしくなり病院で高血圧との診断を出され今でも
お薬を飲んでいます。
現在は 通常の数値に戻ってきたのですが。。。
ふとしたきっかけで落ち込んだりしますと暗く沈んでしまいます。
ただ レオさんの 仰るように病気をしますと
体に気遣いを するようになりました。
広布のための大切な体です。
健康に元気に活動できる今に感謝しています。
長々とコメントつけてしまい ごめんなさい。。。
蓮さんへ
高血圧で薬を飲んでいるのですね。
健康においても、怖いもの知らずほど、ある意味、怖いものはありませんね。
ですから、一番の資本である体を大事にすることを学ばれたのは、考えようによっては、凄い宝ですね。
広布のための大切な体、本当にその通りです。
病によりて道心は起こり候なり、とある通り、病になって初めて人間は、求道心を起こす面があります。
コメントはどしどしお気軽に、寄せて下さい、またお待ちしてます。