御書の拝読 3

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故に弘決の八に云く「若し衆生生死を出でず仏乗を慕わずと知れば魔・是の人に於て猶親の想【おもい】を生【な】す」等云云、

釈の心は人・善根を修すれども念仏・真言・禅・律等の行をなして法華経を行ぜざれば魔王親のおもひをなして人間につきて其の人をもてなし供養す世間の人に実【まこと】の僧と思はせんが為なり、

例せば国主のたと(尊)む僧をば諸人供養するが如し、されば国主等のかたきにするは既に正法を行ずるにてあるなり、
(種種御振舞御書 p.917 1行目)

続けて第3弾です。
長々とスミマセン、まとめて書いてしまいます。

信心をしていないのに随分と幸せそうに見える人が身近にいませんか。
或いは、自分と他人を比べて、その違いに信心が揺らいだことはありませんか。

その意味、とらえ方を一面から明かしたのが、この御書です。
法華経の行者、すなわち学会員を退転させるため、あるいは魔の勢力を拡大するために、邪教を信じている人に対して、魔王が親の思いをして様々に供養するというのです。

魔王が供養していることによって、邪教の信奉者でも、あちらの方が正しいのではないかと、信心を揺らがせようとの魔王の魂胆なのです。

決してそんなうわべの姿にだまされてはいけない、紛動されてはいけないのです。

この御書に関して過去にも一度記事にしています。
過去の記事

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