今回も御書を拝します。
三大秘法禀承事 1022ページ です。
「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他【じぎょう・けた】に亘【わた】りて南無妙法蓮華経なり」
像法時代の天台や伝教といった人たちは南無妙法蓮華経を知っていましたが、自分だけ唱えていました(=自行)。
説き出だす「時」が来ていないゆえ、三類・三障の迫害に耐え乗り越えられないゆえ、南無妙法蓮華経を広宣流布する使命を持たないゆえに、自分だけ唱えていたのです。
しかし今、末法においては「前代に異なり」とあるように、そうした前の時代とは大きく異なり、自行はもちろん化他行を伴ってこそ、真実の南無妙法蓮華経の題目の実践となります。
化他行とは、「外に打って出る」勇気の行動であり、積極果敢な「対話」です。
題目を自分だけ唱えるのではなく人にも唱えさせ、共に根本からの幸福境涯を築いていく実践です。
自行と化他は、よく車の両輪に譬えられます。
自行と化他のどちらかが欠けているのは、自動車でいえば右か左のタイヤが一本外れている状態であり、前に進むことはできません。
或いは、同じ車の例ですが、アイドリング(空吹かし=自行)で一生懸命エンジンを回しても、ギヤが1速に入っていない(=化他行が欠けている)のと同じで、車は少しも前に進みません。
この自行化他についてさらに違った角度から申しますと、大聖人は毎日、草庵に閉じこもって朝から晩まで題目だけを上げていたでしょうか。
学会の歴代会長は、いつも学会本部に閉じこもって自行ばかり行なっていたでしょうか。
そうでないのは皆さまよくご存知の通りです。
大聖人も歴代会長も常に、外に打って出られ日本中はもとより世界中を、徹底して対話に歩いてこられました。
ただ自分だけが御本尊に題目を唱えるだけなら、そこには師弟は無いと言っても言い過ぎではありません。
大聖人、歴代会長に連なり同じ心と行動で対話に打って出てこそ、本当に題目を唱えたことになるのです。
私も、やっとおととい昨日と今回の法戦の行動を起こせました。
とりあえず往復70kmの近場から、6軒ほど友人を家庭訪問してきました。
内、3軒は留守でしたがあとの3軒はしっかりと対話できました。
自分の課題の解決を賭けて、しっかり戦い切っていきます。
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