信心の功徳と実証

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自分のことだが、ここ数年を振り返ってみると、病気ではないが過去に命に及ぶような大きな問題を抱えていた。
それを色々な人の力も借りながら解決することができ、今はこうしてB長として広布のために戦えている。
今月度のB座談会では、我が家はもうこれ以上座れないほどの大結集ができた。
担当幹部も、男子部時代から何かとお世話になっている県長に入ってもらうことができた。
大成功の座談会であった。

大きな悩みを乗り越えて、こうして広布の舞台で戦えていることに、改めて発見があり感謝の念を禁じえない。
節目、節目の「まことの時」に厳然と守られていることに、改めて信心の大きな功力を感じている。

よく実証を示すことが大事と言うが、実証と言っても何も新聞に載ったり大勢の前で話せるようなことだけが実証ではないと思う。
真剣に戦い輝いて生きている我々の姿そのものが、何も多くを語らなかったとしても、人を納得させる実証ではないかと感じる。
実証と言って無理に力まずとも、自行化他にわたる題目を唱えているありのままの姿で、知らず知らずの内に日々、実証を示しているのだ。

前に先生が指導されていたが、功徳の出かたは「水道の蛇口」と同じである。
ふだんは無駄使いしないように蛇口は閉まっている。
しかし、いざという時には、その人自身の日頃のまじめな信心の功徳がドッと出てくる。
厳然と守られるのである。

まだ悩みや課題は尽きないが、悩みがあるということは生きるということの一面でもある。
信心をしている絶対の安心感に立って、前進していけばよいのである。

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