最近見た映画は以下の通り。
・ダ・ヴィンチ・コード 良い ☆☆☆☆
・ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女 良い ☆☆☆☆
勇ましい決意はどこへやら、唱題が元の1日40分に戻ってしまった。
それでも4月18日からの36日間の間に、2時間半を2回、1時間半を17回、1時間以上1時間半未満を3回行うことができた。
三日坊主でも、決意を繰り返してそれを続ければ三日坊主でなくなる、とのご指導もある。
だいぶ前に座談会の担当幹部も言っていたが、1時間~数時間と題目をあげることはなかなか大変なことだ。
長時間、同じ姿勢を続けるのもしんどいし、肩や背中も凝ってくる、睡魔が襲ってくることもある、正座で行えば足も痛い。
仏界が湧現し生命力が出てくるのはもちろんだが、長時間同じ題目を繰り返すというのはどこかで飽きの気持ちとの戦いだ。
そんなことを言うこと自体が、命懸けの悩みでない、切羽詰ってない、まだどこかに余裕がある証拠なのだろうか。
否、そういうことでなく、なかなか簡単にできないことだからこそ、決めた通りにやり切った時にすべての祈りが叶うのだ。
昔、入院中に1日3時間半を数ヶ月間必死に祈っていた時も、周りの入院患者は学会員がほとんどだったが、リハビリと称して麻雀をやっていたりテレビを見たり、ほとんどの人が唱題じゃない遊びをしている中だった。
その病院には、患者の御本尊がほとんどの部屋に御安置してある病院だったのだが、その中で私は唱題の声が聞こえて来るとその部屋へ行き転々と題目を上げていた。
時にはその部屋の休んでる学会員から、唱題の声が大き過ぎるからもっと小さくやってくれ、と注意されたことも何度かあり、気を使いながらの唱題だった。
1日24時間の中のたかだか3時間半ぐらいなのだが、実感としては時間があれば題目を上げている感じで、それを毎日続けるとなると一日中いかに題目を上げるかを追求していく生活でないと実行は困難だったのである。
とにかく人が遊んでいる時に同じく遊んでしまえば、3時間半の題目は無理なのだ。
さらに心や頭脳は、自分自身の司令塔であると言える。
心が常に先生・学会の指導を求めていないと、その油断に魔が付け込むので題目が上がらなくなる。
したがって、貴重な空いた時間も、聖教新聞や学会書籍を常に読んでいくことが必要であった。
時間を確保するためには、生活のルーチン・ワークや休養等もだらだらと行わないで、テキパキと効率的に行う必要もある。
こうして色々な角度から考えてみると題目闘争も、唱題してる間だけガンバればよいというものではなく、それ以外の時間帯をどう過ごすかということも含まれ、二重三重の意味で大変な闘いであることがわかる。
単に時間があれば簡単にできる、というものではないのである。
信力・行力をフル・パワーで出さなければ、簡単にできることではないのだ。
そのように100人以上の入院患者の中で、私が一番の題目闘争を続けたことによって、その時に祈っていたことは全て完璧に叶えることができた。
退院、就職、一段大きな広布の責任を担うこと、創大通教を始めること、池田先生にお会いすること、牙城会に入ること等々、それらの全てが叶ったのだ。
不可能を可能にした、私が23歳の時の体験である。
コメント
そんな病院があるんですか?
御本尊をご安置出来る病院是非教えて下さい。宜しくお願い致します
過去にはありました
ミネコさん、返事が遅くなりスミマセン。
そこは北海道砂川市の慈○会病院という所でした。
当時、院長が北海道の元ドクター部長で、閉鎖の方では御本尊御安置を許可していました。
その先生を慕って、全国から時にはカナダ等の海外からも患者が来たそうです。
その院長先生はだいぶ前に引退したか亡くなったかしたらしく、すでに院長も信心してない人に変わりました。
ですので、今はおそらく御本尊御安置は許可してはいないです。
では。