以下は少し長いですが、潮出版社の『オーランド・セペダ自伝』からの引用です。
妹から読むように勧められましたが、未だ最初の方しか読んでいませんので、紹介は早過ぎるかもしれませんが、善は急げで書き込みます。
なんというドラマに満ちた、幸福な人生を歩いてきたことだろうと思った。
恥じ入るしかない失敗も、私をいじめ抜いた人々さえも、今となればすべてが宝石のようにキラキラと輝いていた。
野球殿堂入り――。
それは、単なる私個人の世間的な地位や名声の証明などではなかった。
それは、私という人間に関わってくれた、すべての人々の勝利であったし、かつての私と同じように深い闇の中でもがいている幾千幾万、いやそれ以上の若者たちが、彼らもきっと勝ってみせられるのだと証明する式典であった。
なぜなら、一人に可能なことは、万人にもまた可能だからだ。
私の名が告げられた。
「オーランド・セペダ!」(p.10)
(中略)
まことに、人間の幸不幸とは、まさに“誰と出会うか”が大きな決め手となる。思い起こしてほしいのだが、私が人生の絶頂から転落していく際には、それこそ残念な出会いが次から次へと連鎖した。出会ってはならない人間と出会い、あるいは、出会うべき人との出会いが、結局もたらされないままにあった。
だが、今度は違った。
まるで、ジグソーパズルを埋めていくように、小さな出会いが絶妙な連鎖を奏で、気がつけば私という人間を大きく育みながら、人間の中へ、社会の中へ、野球の世界へと向かわせてくれたのである。(p.187)
(中略)
是非、若い人たちに言いたい。
何であれ、ゴールに向かって、いくつもの障害を乗り越え、一生懸命に走り続けることが大事だ。
そして、誰が真の友人なのかを見極めることが重要だ。人間にとって、身近に接する人の存在は大きい。悪い人間は悪い方向に引っぱる。よい人間はよい方向に引き上げてくれる。私が自分の才能を伸ばし、苦労に耐えることができたのも、素晴らしい仲間たちがいたからだ。そして、その私が引退後に間違った道に引き戻されたのも、モラルを失った仲間たちとの縁を断ち切れなかったことと無関係でない。
素晴らしい人を友とすることも、仲間になってはならない人間に振り回されないことも、どちらも勇気を必要とする。臆病は悪だ。勇気を持つことだ。
その「よき友」の究極に、人生の模範となるべき「師匠」という存在があることもまた、言うまでもない。よき友人を持ち、自分も誰かのよき友人となり、偉大な人物を師として生涯自分を建設し続けられる人こそ、真に幸福な人間だろう。(p.223)
オーランド・セペダ氏は74歳の元大リーガー選手で、
「60年代メジャーで最も恐れられた強打者」
と言われたそうです。
引退後の絶望のどん底から、奇跡の野球殿堂入りを果たしました。
風雪との格闘の日々、SGIの仏法との出会い、奇跡の逆転劇と、数々の教訓と悩める人への貴重なアドバイスが散りばめられています。
人間は良きにつけ悪しきにつけ、一緒にいる人の影響を受けるものです。
「素晴らしい人を友とすることも、仲間になってはならない人間に振り回されないことも、どちらも勇気を必要とする。臆病は悪だ。勇気を持つことだ。」
との教訓を胸に刻み、今日よりは再び、勇気ある前進をしていきます。
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