役職について

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本ブログでは初めてですが、役職についてのご指導紹介とその考察を致します。


●平成
151213日付、聖教 「海外・第2総東京代表協議会でのSGI会長のスピーチ」から

 

 広宣流布の役職を全うするなかで、自分自身の「境涯」が開かれる。

 広宣流布の責任を担【にな】って、粘り抜いた人間が、最後に勝つ。役職を軽視【けいし】して、勝手気ままに生きる人は、一時は、いいようでも、大福運の道を自ら閉ざす。人生の最終章に苦しんでしまう。

 仏法に「境智行位【きょうちぎょうい】」という法門がある。

 「境」とは獲得すべき真理である。学会の役職にあてはめれば「果たすべき使命」といえよう。その使命を果たすために「智慧」を尽くし、「行動」を尽くしていく。そこに仏法上の生命の「位【くらい】」が連動している。

 

●平成15822日付、聖教 協議会での名誉会長のスピーチ

一、戸田先生に、ある青年部の幹部が聞いたことがある。「故郷に錦を飾るとは、どういうことでしょうか」

彼は社会的な名声が欲しかったのである。戸田先生は、その卑【いや】しい虚栄【きょえい】の心を見抜いて、厳しく叱られた。

いくらお金をもうけても、社会的な名声を得ても、民衆を犠牲にする人間は悪党【あくとう】である。

戸田先生は折【おり】に触れて言われた。

「創価学会の幹部といえば、世界一の名誉だ。世界一の宝だ。学会は広宣流布を成し遂げる平和の団体である。その誇りをもって、故郷に帰ればいいのだ」

「学会の幹部として戦う。人のため、法のため、平和のために働いている。これほど尊いことはないじゃないか。仏法即社会であり、一番尊い社会的地位だ。それを卑下【ひげ】するような人間は、私の弟子ではない」

長身の先生が発する声は雷鳴【らいめい】のようだった。眼光【がんこう】も鋭い。邪悪を見抜く直感は天才的だった。

学会の役職には永遠の功徳が光る。尊き同志の頭上に「幸福の宝冠【ほうかん】」が輝きわたることは、御聖訓に照らして絶対に間違いない。

 

●’9810月号 大百蓮華「法華経の智慧第45回 嘱累品より」

根幹は、師匠対自分です。組織の機構や役職等は方便です。それをまちがうと、大変です。仏法という「師弟の世界」を壊して、官僚的な「形式の世界」にしてしまったら、大変なことになる。
 どんなに人知れず、陰で働いていても、師匠の指導通りにやっているならば、師弟相対は深い。それが外れていたら、どんなに華々しく行動していても、何にもならない。師弟の道を離れて、仏法はないのです。

先生も仰っているように、役職は広宣流布を進め会員の幸福を実現するためのあくまで手段=方便です。
逆に言えば、仮に広布が進まない役職であったとしたら、無意味であるだけでなく、じゃまでしかないのです。

学会に偉くしてもらいながら、自分の力で偉くなったと自惚れる、あるいは民衆仏法という魂を忘れ、貴族仏教かまたは、悪しき特権階級に成り下がったとしたら、役職を設ける意味が無いです。

もう一点、自分を飾るために役職を利用するのではなく、逆に自分の戦いで頂いた役職を輝かせていくのだ、とのご指導もあります。
役職のポスト数には限りがあるので、希望する人すべてが就ける訳ではありません。
役職者として必要な資質や実績は、当然厳しく選考されます。

役職があろうと無かろうと同じ思いで戦い行動できてこそ本物です。
役職が無ければ戦えないのだとしたら、どこかに人の評価を気にする打算的態度があるのではないでしょうか。

役職は間違っても人間に「序列」を付けるものではありません。
役職が高いから人間として偉いのか、選ばれし者なのか、そんなことはないのです。
境智行位という法門で「生命の位」が高いとしても、民衆に尽くしぬいてこその現代の力あるリーダーです。
戸田第2代会長いわく、
「出来の悪い人間(幹部)ほど威張っている」
との指摘を胸に当てるべきです。

役職は軽視してもいけませんが、絶対視してもいけません。
あらゆる角度から正視眼でとらえる必要があります。

役職について、こうあるべき、逆にこうあってはいけない、との私なりの考察を述べました。
私は末端の一B幹部に過ぎませんし、役職について大上段から論じる立場にはありません。
二十数年間の活動で見聞きし学んできたものですが、ただの私見の域を出てないかもしれません。
もし誤りや不足等があれば、ご指摘頂ければありがたいです。

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コメント

  1. あべひ より:

    落とし穴
    レオさん幹部に関してのご意見を拝見させて頂きました。

    ※役職は軽視してもいけませんが、絶対視してもいけません。
    あらゆる角度から正視眼でとらえる必要があります。
    私は末端の一B幹部に過ぎませんし、役職について大上段から論じる立場にはありません。

    というのは、すでにご自分が序列をつくっておられるのではないでしょうか。
    一ブロック幹部は役職について大上段に論じる立場にはない という発想こそが慢心に通じているのではないでしょうか。

    戸田先生が主張された「威張る幹部」というのは「慢心」の幹部である事はレオさんも理解されているとおもいます。
    しかし、ご自分の姿を論じるならともかく
    こんな場所で幹部論をブチ挙げたところで、貴殿に慢心がまったくない とROMの方が思われるでしょうか。

    理想の幹部像というよりも、理想の信仰者としての姿を模索するのに、まず「幹部は・・」と
    リーダの資質を答うまえに、自分はどうなんだろう? という事を感じさせなければ単なる幹部批判で終わります。

    なかなか表現というのは難しいものです。

    また、論をブチ挙げて「コメント(反応)を待つ」ような無節操なことはあまりなさらないほうが良いでしょう。

  2. レオ より:

    あべひさん
    役職についても自由に論じて良いと思います。
    皆が無理して論じ合う必要はなくとも、タブーを設けてはいけないと思います。

    幹部批判を集めるのが目的では、決してありませんのでお間違えなきように。

    私自身に慢心がある無しは、見る人が見れば一目瞭然でしょう。
    人間革命の途上ですので、常に慢心との戦いではありますね。