私見

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4つの論点から私見を述べさせて頂きます。

1.10年続いたこと自体が、一つの奇跡。
公明党が与党入りする際に、私の住まいの会合で、ある年配の婦人部が言っていました。
「万年野党であれば、どんなに素晴らしい法案であっても、ほとんどのものが通らないんだよ」と。

すなわち公明党が与党に入れば、国民のための法案が数多く成立できるという意味であり、私なりに納得が行く答えでした。
その言葉の通りこの10年間、公明党の多くの有益な施策が実現されてきました。

改選前31議席というのは、「与党」としてはハッキリ言いまして少数勢力です。
議席数だけから言うなら、10年も与党に居れたこと自体が奇跡だと思うのです。
もちろん自ら進んで与党入りしたかどうかの議論は抜きにした上でです。

2.結果の予想について。
仮に、負けると分かっていた戦いをなぜさせたのか、との疑問もあるようですが、私なりの考察です。
公明党や学会の上層部は最悪の場合でも、小選挙区でのこれほどの大敗を予想はしていなかった、というのが実情でしょう。

例え、今回の敗北が完全に予想されていたとして(そんなことは水物【みずもの】の選挙ではあり得ませんが)、仮に10議席落選しそうだから最初から10人減らして21人(+アルファ)の候補で戦いましょう、ということは間違ってもできないでしょう。
それでは戦いでも選挙でもなく、単なる数字合わせの戦いに成り下がってしまいます。
(乱暴な言い方でしたらスミマセン)

あくまで公明党完勝を目指しての布陣であり方針であった、というのが実態でしょう。

落選した現地を支援した方々の労苦と壮絶な戦いと思いは、想像するに余りあります。
私もほんの僅かですが戦いに加わることができました。
あくまで今回の選挙に対する、私の一愚見であり一分析に過ぎませんのでご容赦を。

3.民主党の真価はいかほどなものか。
国民の審判の大勢【たいせい】は民主党に投じられた訳ですが、民主党のお手並み拝見ということでは大いに心もとない部分もあります。
変わったのは「看板と気分だけ」ということも大いにあり得るでしょう。

肝心な点は、確固たる哲学・信念を持つ公明党が与党側から退出してしまった、ということです。
民主党に「一度やらせてみたら」というだけの明確な根拠の無い、一時の国民の信任を受けたというだけでしょう。
哲学・信念を持っているか庶民のためにどこまで戦う覚悟があるのかという面でも、公明党が支えていた連立政権より明らかに劣ります。

今の所は高い支持率や世代交代という側面に支えられていたとしても、結局は利害に翻弄【ほんろう】されたりマスコミの顔を窺【うかが】ったり、場当たり的なものに終始する可能性が大です。
すなわち強固な信念に裏付けされていないからです。

例えば、少数者の意見を実現しようとする時に、抵抗勢力や利害関係者と徹底して戦うことはできないでしょう。
人気取り等では実行できたとしても、真の意味でその人たちを守る政策実行は無理でしょう。

哲学・信念が無いということは、人のために自己を犠牲にしたり真の意味で尽くすことができないからです。
結局は、政治家自身の利害損得や立場の維持に汲々【きゅうきゅう】とせざるを得ないでしょう。

4.ノーサイドについて。
これらのことはこれらのこととして、例えですが、ラグビーでは試合が終わると、「ノーサイド」の笛が鳴ります。
ノーサイドによって、敵・味方の立場はいったん解消となり、お互いの健闘を讃え合い握手等をします。

サッカーなどでは、お互いのユニホームを交換し合います。
甲子園野球などでは、自分が負けたチームに勝ち進んでもらいたいがために、残って応援を続ける等の光景もたまに見られるようです。

いつまでも敵・味方を引きずるのはある意味不幸です。
例えば、「仏の敵」だからいつまでも敵視するのだ、というのもいかにも偏頗【へんぱ】な捉【とら】え方です。

これからもしっかり政治を監視し続け、一国民としても野党としても、強く主張すべきは主張し通していくということが大事です。
もちろん、今回の小選挙区での敗因をしっかり胸に刻み、次への勝因につなげていく決意と戦いも非常に大事です。

以上の他に、米国に見る共和党と民主党の関係、二大政党制の欠点と第三政党の必要性、などについても述べたかったのですが、ここでは割愛させて頂きます。
以上、真新しい見方は少ないかもしれませんが、何らかの参考にして頂ければ幸いです。

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