創価大学という大学があるのを私が知ったのは、もうかれこれ20年以上前になります。
その時私は、北海道の工業高専を卒業し、外資系大会社の正社員として勤務していました。
10年間の退転状態から復活し、真面目に読み始めた聖教新聞で、創価大学を初めて知りました。
しかし自分が創大へ行くとは、その時はまったく考えてもいませんでした。
大学くらいは出ておきたいものだと、ずっと思っていましたので、当時神奈川で1人暮らしでしたが、近くの大学をそれとなく調べたりしていました。
国立・横浜大学の経営学部の夜間へ通っている職場の先輩がいて、通学可能な距離でもありましたので、夜中から朝方にかけて車で横浜大学の敷地内を1人で見に行ったりもしました。
その先輩の自宅へ訪問したこともありましたが、数名で行ったためじっくり話しを聞けなかったこともありました。
筑波大学なども目がいったのですが、余りに遠くて無理でした。
一度、先生へ決意を書いた短冊を送りましょう、というのが当時の地元組織であった時に、
「働きながら大学を卒業します。広布の人材として力をつけます」
というような決意を書いた記憶があります。
丁度その決意をお送りした頃から、聖教新聞の先生のスピーチ等に、創価大学のことが取り上げられることが多くなった気がしました。
もう一つ、大きく動機づけられたことがありました。
それは、男子部の本部単位の活動者会などで、参加者の代表が立って一言、決意発表する時間がありました。
何人か立って決意を言うのですが、
「うむ? この人は何か他の人と違うぞ、話にキラッと輝きがあるぞ」
という人が決まって1人か2人話すのです。
しかも、その人が話しの終わりのほうで、
「創価大学を卒業しました」
と付け加えるのです。
そういうことが日を変えて会場を変えて何度も繰り返されました。
創大学生歌の3番に、
むらさきただよう武蔵の空に
沈黙【しじま】を破りて朝日は昇りゆく
学徒の姿に自覚【めざめ】て立てば
という歌詞にある通りに、まさに学徒の姿に触発されて、目覚めよう立ち上がろう、としていたのです。
ただしその時は、こういう歌があることも知りませんでしたし、実際に創大生(通教生)となるまで、乗り越えねばならない試練が1つ2つと待ちかまえているのを、私は知りませんでした。



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