御書と命

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東北関東大震災から1週間が過ぎました。
1万9千人を超える死者・行方不明者となり、尊い生命が奪われました。

突然に死なねばならなかった犠牲者1人1人の無念さ、残された遺族の悲しみ苦しみが、何万何十万と繰り返された、この1週間でした。
深く哀悼の意を表します。

私は地理的に実害は無かったのですが、連日のテレビ報道を通して、心を痛めるばかりで、

「足手まといになるかもしれないけれど、自分にも何かできないか」
「可能であるなら、駆けつけて行って、何か手伝って差し上げたい」

と居ても立ってもいられない気持ちです。
日本人は元より世界中の人々が、同じ思いを感じたことでしょう。

そんな私にできることは唯一祈ることだけです。
重症・負傷者が早く治療を受け、救援が速やかに被災者に届くこと、救援物資が迅速に確実・着実に届くこと、福島原発の速やかな完全停止・安定化と完全解決、物流や停電等の混乱の回復など、送った題目は何時間にもなりました。

こうして1週間が経ち、改めて命の尊さや意味についても、御書を通して考えてみました。


現在の大難を思いつづくるにもなみだ、

未来の成仏を思うて喜ぶにもなみだせきあへず、

鳥と虫とはな(鳴)けどもなみだをちず、

日蓮は・なかねども・なみだひまなし、

此のなみだ世間の事には非ず但偏【ひとえ】に法華経の故なり、

若しからば甘露のなみだとも云つべし、

涅槃経には父母・兄弟・妻子・眷属にはか(別)れて流すところの涙は四大海の水よりもををしといへども、

仏法のためには一滴をも・こぼさずと見えたり、
(1361ページ)

佐渡流罪の渦中にあった大聖人は、鳥や虫のように鳴きはしないけれども、ひまなく涙を流している、と仰せです。
その涙は大難の苦労ゆえの涙であり、法華経身読したゆえの歓喜の涙でありました。

親兄弟、妻子などに別れて流した涙は、人間の歴史の中で、全てを集めれば大海の水よりも多いのである、との経文を引きます。
そして、多くの人が生まれては死に、生まれては死に、を繰り返すなかで、仏法のためには一滴も涙を流さない、と仰せです。

深い言葉です。
親子や夫婦の愛情を深く理解した上で、民衆を六道輪廻の根本苦から救おうとされる、御本仏の厳愛なのです。


いのちと申す物は一切の財【たから】の中に第一の財なり、

遍満三千界無有直身命【へんまん・さんぜんかい・むうじきしんみょう】とと(説)かれて三千大千世界にみ(満)てて候財も・いのち(命)には・かへぬ事に候なり、
(1596ページ)

2つめの御書は、私たちの命は誰の命であれ、どんな財宝にも替えがたい、第一の宝物です。
たとえば、全宇宙にありとあらゆる財宝で一杯にしたとしても、自分の命には替えられないのです。


身命に過【すぎ】たる惜き者のなければ 是を布施【ふせ】として仏法を習へば必【かならず】仏となる 身命を捨る人・他の宝を仏法に惜べしや、

又財宝を仏法におしまん物まさる身命を捨べきや、

世間の法にも重恩をば命を捨て報ずるなるべし 又主君の為に命を捨る人はすくなきやうなれども其数多し 男子ははぢ(恥)に命をすて女人は男の為に命をすつ、

魚は命を惜む故に池にす【栖】むに 池の浅き事を歎きて池の底に穴をほりてすむ しかれどもゑ(餌)にばかされて釣【つり】をのむ 鳥は木にすむ木のひき(低)き事をおじて 木の上枝【ほつえ】にすむ しかれどもゑにばかされて網にかかる、

人も又是くの如し 世間の浅き事には身命を失へども 大事の仏法なんどには捨る事難し 故に仏になる人もなかるべし。
(956ページ)

人間においても、魚や鳥などの動物においても、命を惜しんで様々に努力し全力を尽くしますが、目先に執着する愚かさによって結局、大事な命を捨ててしまうことが、余りにも多い。
世間の浅いことには命を捨てることがあっても、根本の大事である仏法、自他の永続的で磐石な幸福を築き切る仏法には、命懸けで実践することができない愚かさを、厳しく指摘されています。

ここで、仏法に命を捨てるとは、命を粗末にすることでは、絶対にありません。
学会活動のために、我が身と心をを惜しまず、捧げて使っていくことです。

長文になってしまい申し訳ありません。
この大震災を機に、私も改めて自分らしく全身全霊で、信心に取り組んでいきます。

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