最近見た映画は次の通り。
・THE 有頂天ホテル ふつう ☆☆☆
・地下鉄(メトロ)に乗って ふつう ☆☆☆
・敬愛なるベートーヴェン 良い ☆☆☆☆
秋葉原の無差別殺傷事件に続き、岩手・宮城内陸地震が発生し、被害者や被災された方々にはお見舞い申し上げます。
仕事で最近少し動きがあったが、まだ微々たるものだ。
これまでの仕事を続けるか転職するかで悩んだが、この年では転職などそうそうできるものではない。
今までの仕事を続けたとしても、最低限の収入の数分の一にしかならない。
にっちもさっちも行かない状況だ。
福運が尽きているのが原因だから、折伏をしなければと頭では分かっていても、何をどうしたらいいのかが分からない。
だからこそ、題目でご仏智を湧かせるしかないのだが、10分20分の題目でもシンドイ感じに陥っている。
こういう時は幾度も経験している、別に珍しいことじゃない。
たとえ苦しい唱題でも逃げてはダメだ。
「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ、」(1143ページ)
とある通りだ。
ともすると将来の展望も希望も抱けない時がある。
「なにをやってもダメさ」「自分には無理なんだ」「そんな願い、叶いっこないさ」「今いる所から逃げ出してしまいたい」等々という思いが沸き起こってくる。
弱気や疑いとの戦いだ。
「一念」とは一瞬の生命状態である。
一瞬の一念の転換で、その転換が三千世界に展開し環境を変える、宿命転換ができる、というのが「事の一念三千の法理」だ。
確信するかあきらめるかはタッチの差である。
だが、それから得られる結果は天地雲泥の差をもたらす。
そのタッチの差のために、「億劫の心労が」必要なのだ。
決して意味のない苦しみではないのだ。
広布のために悩む、仏界を顕わそうとして悩むのは偉大な悩みだ、仏界に基づく悩みである。
それを確信して、ともかく自行化他の唱題を続けるのが、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき」ということではなかろうか。
話しは変わるが、戦国の武将が籠城【ろうじょう】している城を攻める時などは、糧道【りょうどう】を断つのが常道だ。
食糧補給の道を断って城内を干上がらせる、飢えさせて団結を撹乱する、すると志気が落ち内通者などが現れ、早晩、城を奪うことができる。
魔軍も、法華経の行者を攻める時はあらゆる手を使うだろうが、その一つが兵糧攻め、すなわち現代的に我々の立場で言えば「収入の道を途絶えさせる」というのが大きな方法だろう。
第六天の魔王は、欲界、色界、無色界という三界の内、欲望の世界である欲界を支配している。
(正確には第六天の魔王は、欲界の六欲天の頂【いただき】に住み、衆生の悟りを妨害して、無明の世界に突き落とす。)
色界は物質的世界、無色界は精神的世界である。
ちなみに、仏は三界の主である。
第六天の魔王が欲界を支配しているゆえに、収入を途絶えさせ、それによって行者に疑いを起こさせ退転させようとする。
要するに兵糧攻めである。
退転者に共通する特徴として、金に極度に弱い、金から派生する世間的評価に目立って弱い、というのは度々聞いたことがあると思う。
魔軍からの兵糧攻めに敗れ去った姿とも言えよう。
仏は三界の主である。
仏界を湧き立たせて戦えば、いかなる魔の軍勢といえども打ち破っていけるのだということを、改めて銘記したい。
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