御書・教学

学会指導

不可能を可能にする

不可能だから祈る。最初から可能なら祈る必要はないし、信仰も必要ないと言える。創価の信心には不可能を可能にする力がある。目的地まで橋が無くて行けないとしたら、必要な橋が架かるのだ。 悩める友を根底から救う折伏をやり切っていけば、必ず祈りは叶う...
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信心が試される時(3)

では、諸天善神がその人の信心を試すことがある、ことに関して御書を拝してみましょう。 されば・いにしへ(古)の聖人・賢人と申すは命を仏にまいらせて・仏にはなり候なり。 いわゆる雪山童子と申せし人は・身を鬼にまかせて八字をならへり、 薬王菩薩と...
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御書・教学

信心が試される時(2)

以下は尸毘王のあらすじです。 寿命の残り少なくなった帝釈天が天上の世界から地上の世界に降りてきて、人間たちの中に本物の菩薩を探すがなかなか見つからない。 「このままでは仏法が衰滅する」と心配し悩んでいる。 世界に菩薩がいないことは仏法が衰え...
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御書・教学

信心が試される時(1)

71歳の私の母は健在です。 母は14歳の時に学会に入会したので、もうかれこれ信心57年となります。 その母が、私がスランプに陥りつい愚痴が口に出た時、決まってこう言います。 「信心を試されているんだよ」 短い言葉ですが、深いです。 信心を貫...
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念仏無間地獄(7)

ここまで6回にわたって、様々な角度から念仏無間について述べてきた。 ここでさらなる補足と一応のまとめをしておこうと思う。 念仏を唱える人は、死んだら西方極楽浄土へ生れることができると信じ、「厭離穢土欣求浄土」-おんりえど・ごんぐじょうど と...
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念仏無間地獄(6)

さらに解りやすい例を挙げて、念仏の害毒と法華経の功徳を比較相対しよう。 それはある大学院生が興味深い研究をしたそうだ。 実験用のネズミを5匹ずつケージに入れて、まったく同じ条件の2組を用意した。 ここからが面白いのだが、その2組のネズミたち...
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念仏無間地獄(5)

念仏宗の人は臨終の相が悪いと、大聖人は仰せです。 悪い腫物(はれもの)などの重病が多く、特に臨終に狂乱すると仰せです。 狂乱とは、死に臨んで正念が保てず、心が顛倒(てんどう)し心が錯乱するので、おめき叫んだり狂乱の姿を現じるのでしょう。 十...
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念仏無間地獄(4)

ではここから彼らの邪義を破折していきたい。 まず、念仏も同じ釈尊が説いた仏説ではあるけれども、あくまで方便の教えに過ぎないこと。 釈尊の出世の本懐は法華経以外にないことを、家を建てる時の足場(ここでは足代【あししろ】と表現している)を方便に...
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念仏無間地獄(3)

念仏宗の害毒の現れ方は 1.現実変革のエネルギーに乏しい。 あきらめの人生、消極的人生となるゆえに、深い充実感や歓喜が無い。 2.他力本願で、自ら周囲・環境をも変えていこうとの積極性に乏しい。 3.悩みの絶え間ない生活になる。 4.自殺した...
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念仏無間地獄(2)

念仏宗に限らず現代の既成仏教は形骸化の道を辿り、葬式仏教となっている。 それらとは対照的に、現実の生活を力強くリードし、あるいは複雑さを極める現代文明を指導する力は、もはや創価の仏法にしかない、と強く主張したい。 三代の会長を中心として、昭...
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