今まで生きて有りつるは、この事にあはん為なりけり

この記事は約4分で読めます。

また少し長いですが、おつきあいください。

又減劫の時は小の三災をこる、ゆはゆる飢渇・疫病・合戦なり、
飢渇(けかち)は大貪(だいとん)よりをこ(起)り、
やくびやう(疫病)はぐち(愚痴)よりをこ(起)り、
合戦は瞋恚(しんに)よりをこ(起)る
(御書p.1064)

「三災七難」のうちの三災に大の三災と小の三災があり、小の三災=3つのわざわい飢餓・疫病・戦乱は、それぞれ三毒の貪欲・愚癡・瞋りの命を原因として起こるとご教示されています。

されば妙法の大良薬を服するは
貪瞋癡(とん・じん・ち)の三毒の煩悩の病患を除くなり、

法華の行者、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、
謗法の供養を受けざるは貪欲の病を除くなり、
法華の行者は罵詈(めり)せらるれども忍辱を行ずるは
瞋恚(しんに)の病を除くなり、

法華経の行者は是人於仏道決定無有疑(=是の人、仏道に於いて決定して疑い有ること無けん)と
成仏を知るは愚癡の煩悩を治するなり、

(御書p.755)

人間のどうしようもないこれら三毒の命も、法華経の行者が題目を唱える時、

謗法の布施を受けないことにより、貪欲の病を治し、
信心ゆえに悪口を言われても忍辱を行じることにより、瞋恚(しんに=いかり)の病を治し、
決定した疑い無き信心で成仏を確信することは、愚痴の病を治す、

と仰せです。なんと有り難い御本尊でありましょうか。


されば鹿(しか)は味ある故に人に殺され、

亀は油ある故に命を害せらる、
女人はみめ形よければ嫉む者多し、
国を治る者は他国の恐れあり、財有る者は命危し、
法華経を持つ者は必ず成仏し候、
故に第六天の魔王と申す三界の主(ぬし)
此の経を持つ人をば強(あながち)に嫉み候なり、

此の魔王疫病の神の目にも見えずして人に付き候やうに、
古酒に人の酔い候如く国主・父母・妻子に付きて
法華経の行者を嫉むべしと見えて候

(御書p.925)

様々な譬えを挙げられて、第六天の魔王やその手下たちが、法華経を持つ者を強く嫉み、退転させようと狙って来るのは、法華経を持つ者は必ず成仏してしまうからです。当時貴重であった、鹿の旨い肉のように、貴重な亀の油のように、美貌の女人のように、魔王たちが持っていない最高の宝が法華経に秘められているゆえに、魔は妬みそれらの宝を得させまいと躍起になるのです。

このことは逆に言えば最高の宝、つまり絶対に幸福になれる力が、創価の御本尊に具わることの証なのです。ですから魔の働きも悠々と見下ろしていく大確信に立ち、決して紛動されてはならないのです。

構(かま)へて構(かま)へて所領を惜み
妻子を顧(かえ)りみ又人を憑(たの)みてあやぶむ事無かれ、

但偏(ただ・ひとえ)に思い切るべし、

今年の世間を鏡とせよ若干(そこばく)の人の死ぬるに、
今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、
此れこそ宇治川を渡せし所よ是こそ勢多を渡せし所よ、
名を揚(あぐ)るか名をくだすかなり、

人身は受け難く法華経は信じ難しとは是なり、
釈迦多宝十方の仏来集して我が身に入りかはり
我を助け給へと観念せさせ給うべし、

(御書p.1451)

妻子や経済的基盤が損なわれないかと危ぶんだり、人を頼って信心を失うことがあってはならないと強くご指南されています。「ただ、ひとえに思い切りなさい」とまで厳しく打ちこまれます。災害や様々な要因で多くの人が亡くなったにも関わらず、今まで生きてきたのはこのこと(=法論。今この時の広布の戦い。法戦)に会うためであったのだ。この時この戦いこそ、勝負を決する千載一遇の大事な時である。

昔、京に攻め上る軍勢が、戦いに勝つか負けるかを決する、要衝(ようしょう)の地が宇治川や勢多であった。勝って名を上げられるかどうかの、戦いの正念場である、との仰せです。人間に生まれることは困難であること、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経を信じ行じることは難しいというのは、このことを教えているのである。十方の仏が集まってわが身に入り替わり、我を助け給えと覚悟を決めて祈りなさい、強い一念で戦いなさい、とご教示されています。

(令和元.7.8修正しました)

 

ご投票宜しくお願いします↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
 にほんブログ村


コメント