
戸田先生と池田先生の出会い
道妙禅門御書 新版1713㌻
祈禱(きとう)においては顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の祈禱有りといえども、ただ肝要は、この経の信心を致し給い候わば、現当の所願、満足あるべく候。
法華第三に云わく「魔および魔民有りといえども、皆仏法を護らん」。第七に云わく「病は即ち消滅して、不老不死ならん」との金言、これを疑うべからず。
21世紀女性研修会 2003.8.21 池田大作全集第95巻
「祈り」は必ず叶う
信心の功徳には、はっきりと顕れる「顕益」と、目には見えなくとも知らずしらずのうちに大利益を受ける「冥益」がある。大聖人は、「祈り」と「功徳」の顕れ方について四つの形を挙げておられる。(御書新版1713㌻)「顕祈顕応」「顕祈冥応」「冥祈冥応」「冥祈顕応」である。
「顕祈顕応」とは、何かに直面したとき、真剣に祈り、それに応じてただちに解決の方途が開かれ、願いがかなうこと。「顕祈冥応」とは、祈りに応じた具体的結果がただちに顕れなくても、その功徳は生命に積み重ねられていくことである。「冥祈冥応」とは、たゆまざる唱題の功徳によって、自然のうちに生命が浄化され、豊かになり、所願満足の道へ入っていくこと。「冥祈顕応」とは、つね日ごろの唱題の功徳が、いざという時、具体的事実として厳然と顕れることである。
この四つにふれて、大聖人は仰せである。「ただ肝要なことは、この法華経の信心をされるならば、現世と未来世の願いが満たされるということである。法華経第三の巻(授記品)には『魔および魔民があったとしても、皆、仏法を守護する』とある。また、第七の巻(薬王品)には『病は消滅して、不老不死の境涯を得るであろう』とある。これらの金言を疑ってはならない」(御書新版1713㌻、通解)
真の強盛な信心。真の強き祈り。それは、一切を変毒為薬する根本の力である。さらに、魔民さえも広宣流布の味方へと変えていける。「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。勝利のために、まず強き祈りから始める。そして粘り強く、忍耐強く、祈りぬき、祈りきる。この常勝の方程式を、深く胸に刻んでいくことである。強き信心の一念と行動で、乗り越えられない山はない。
人気や評判などは、あまりにも、はかなく、むなしい。そこには、永遠性の幸福も、充実もない。学会には、偉大な哲学があり、思想がある。皆さまは仏法の真髄を実践している。それは、権力者であっても、知らない。大学者であっても、未知の世界であろう。しかし、妙法は厳然と存在している。大宇宙の運行も妙法の力である。仏法は森羅万象の一切を貫いている。その大仏法を、皆さまは友に語り、教え、広めておられる。なんと偉大な哲学者か。

祈りとして叶わざるなし。
パナマ広布19周年記念勤行会 1987.2.18 池田大作全集第68巻
この御文の意味を申し上げれば、祈りとその功徳の顕れ方には「顕祈顕応」「顕祈冥応」「冥祈冥応」「冥祈顕応」の四種がある。(中略。四種の祈りについては、上記を参照)法華経第三の巻の授記品には「魔および魔民があったとしても、強き信心があれば、すべて仏法を守護する働きに変えていくことができる」とある。また、第七の巻の薬王品には「この妙法を信受すれば、あらゆる病を乗り越え、『不老』つまり、つねに若々しい生命力で、『不死』という、三世永遠にわたる金剛不壊の境涯を築きあげることができる」とある。この金言を疑ってはならない――と仰せなのである。
少々むずかしい話になったかもしれない。分からない部分は、ぜんぶ忘れていただいてもけっこうである。ただ忘れてならないのは、何があっても題目をあげぬいていく――この一点である。そこに一切の智慧も幸福も安穏も、すべてが含まれているからである。
【ひと言感想】
日蓮大聖人は祈りには、顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の4種類があると仰せです。まず、祈っている内容を明確に意識しているか否かにより、「顕祈」と「冥祈」に分かれます。さらに功徳の現れ方が顕益か冥益かによって、それぞれ「顕応」と「冥応」に分かれます。これら4つの要素の組み合わせなので、合計4通りとなります。それぞれの意味とどう捉えるかは、上記の池田先生の講義をご参照ください。
そして、この4種の祈りにふれたうえで大聖人は結論されます。「ただ肝要なことは、この法華経の信心をされるならば、現世と未来世の願いが満たされるということである」と。このことを先生は次のようにご指導されています。
「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。勝利のために、まず強き祈りから始める。そして粘り強く、忍耐強く、祈りぬき、祈りきる。この常勝の方程式を、深く胸に刻んでいくことである。強き信心の一念と行動で、乗り越えられない山はない。
広布と人生に勝利するために、一切は強き祈りから始まります。粘り強く、忍耐強く、祈りぬき、祈りきる。この実践を「常勝の方程式」と仰せです。創価の信心を生涯貫き通すことが、必ず所願満足の人生を築いていくのです。ここでは、この最重要ポイントを押さえたうえで、さらに考察していきます。
「決めて、祈って、動いて、変わる」
「何を、いつまでに、どうしたいのか。目標を明確にすることが大事」
とは、よく聞く学会指導です。私たち祈る者の奥底の願いを、本人が意識するとしないに関わらず、御本尊はすべて聞いてくださいます。そして祈りを叶えてくださいます。その上で、目標を明確に定めることは、自己の努力を実現したいことに集中させる効果があります。自分の持っている労力やリソース(=資源)を、目標の実現のために全集中できるのです。
もし、自分に迷いがあったり、二心があったとしたら、叶うものも叶わないでしょう。そういう時には、一念を定める、腹を決めるための唱題や行動が、まず必要でしょう。
御書に「石虎将軍」の説話があります。弓の達人であった李広将軍は、虎に親を殺された。ある日、草むらにうずくまっている虎を見つけ、「これこそ親の仇の虎だ」と仇討ちの一念に燃えて矢を射たところ、見事に命中した。駆け寄ってみると、なんと虎ではなく、形のよく似た石であった。しかし、矢はその硬い石を貫いて羽まで突き刺さっていた。その後、矢を射ても石に刺さることはなかったという。四条金吾が強盛な信心に立てば、必ず諸天善神から守護されると激励されている御書です。
(教学用語検索・公式サイトを参照しました)
強い一念の信心に立てば、どんな困難も乗り越えることができます。今こそ「まことの時」と腹を決めて祈り戦いきるのです。私ごとですが、3年前にとてつもない苦難に襲われていました。(詳細は語れませんが)絶体絶命の状況でした。どう見ても、自身の宿業としか言いようのない問題でした。最初は題目をあげていても、腹が決まらずオタオタし、「今回は乗り越えられないのでは」との弱気が出てきてしまいます。
幹部の方に指導を受け、かつてない戦いを決意しました。「まず題目だ。題目しかない」と10時間を毎月1回続けていきました。その他の日には毎日3時間20分(=1万遍)以上を持続していきました。一番大変な時には、毎週10時間を行ないました。今振り返ってみると、2023年から2025年の間に10時間唱題を、33回やりきっていたのです。
この題目の戦いと学会活動によって、あれだけ絶望感しかなかった人生最大の苦境が、劇的に解決を見たのです。正にあらゆる存在が諸天善神となって、思った通りの結果となっていきました。不可能が可能になったのです。
ここで、改めて申すまでもありませんが、単なる形式が大事なのではありません。ダラダラと長時間唱えさえすればいい、形だけやっていればいいというものでは决してないのです。唱題行という形式だけなら、日顕宗だってやっています。学会が日顕宗と根本的に違うのは、広宣流布の真剣な行動です。宿命に泣く人々を救い、共に幸せを掴もうとの、勇敢なる実践です。「広宣流布の唱題」だからこそ、学会には大功徳が漲っているのです。その利他の実践の模様は、字数の都合上、本稿では割愛します。
この試練を通して、「祈りとして叶わざるなし」を自分らしく、身で読むことができた体験となりました。報恩感謝の折伏成就と、さらなる目標達成に向け、月1回の10時間を継続中です。創価の御本尊の力は無限です。あとは自身がどこまで信力・行力を出せるかがカギです。いよいよの信心で前進していきます。


コメント