戦った人の大境涯 ー10時間唱題(52)

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5・3誠におめでとうございます。個人的に、4月も10時間を行ないました。28日に8時間、翌29日に3時間20分と、2日間で11時間20分を完遂しました。今回は1日でやり切るとなると、明け方3時近くまで掛かりそうでした。そこで8時間までとして、翌日に持ち越しました。通算では52回目となります。

10時間唱題表。52回目

 

 

唱題・学会活動・折伏の実践に果敢に挑戦中です。5月2日付の「きょうの発心」に、「法華経の行者の祈りのかな(叶)わぬことはあるべからず」(祈祷抄、新592㌻、全1352㌻)とあるごとく、人間革命の勝利の実証を示していきます ではここで、先生のご指導を学びましょう。

 


 

 

 

「師子王の心」で立つ人が勝つ

御聖訓に照らし、「三類の強敵」「三障四魔」が、日蓮仏法における広宣流布の途上に必ず出現することは、ご存じのとおりである。「三類の強敵」「三障四魔」がないのは、御聖訓どおりやっていないのである。今、創価学会の偉大なる世界広宣流布の兆候として、「三類の強敵」「三障四魔」が現れたことは、創価学会が御聖訓どおりに大法戦を展開しているという事実であり、証明である。(中略)

 

広布のために戦えば、元気になる。自由自在の境涯になる。「戦った人」の十年後の大境涯と、「ずる賢く、要領のよい、臆病な人間」との相違は、天地雲泥となるにちがいない。師子王のごとく戦った人は、仏のごとき大境涯と大福運となるのである。要領よくやった人間は、畜生の根性のごとく、わびしい、哀れな境遇となっていく。このことは、因果の理法に照らして明快である。

 

(中略)
大聖人は正義のために、邪智・邪法と戦って、死罪・流罪になられた。謗法を呵責されて、死罪・流罪になった。何も悪いことをしていないのに、死罪・流罪になったのである。大聖人の正統である創価学会も同じである。

 

正義である牧口先生、戸田先生を、権力は投獄し、いじめた。宗門は破門をし、いじめぬいた。今回の日顕のずる賢い陰謀は、大聖人が必ず裁かれるにちがいない。そして、長い目からみれば「日顕宗が、いかに邪教・邪宗の実態であるか」は、歴史が明確に証明するであろう。

(『池田大作全集』第91巻 沖縄代表協議会 2000.2.7)

 

 

「戦う魂」を彫り上げた、ミケランジェロ作・ダビデ像。

 

 

 

心清らかな信心たれ

心清らかな信心には、無量の功徳がわきいずる。濁ってくれば、喜びもなくなる。功徳も出てこない。信心の ”心” こそ大切なのである。往々にして、長い信心をしていくと、この清らかさがしだいに濁っていく場合がある。これはたいへんにこわいことである。

 

ただ、長年信心をしているからとか、幹部であったからとかいって、後輩を見おろすというような、自らの信心の濁りは、人々をも濁らしていくから、まことに危険な存在といわなくてはならない。そうなってはいけないし、またそのような人のために自身の信心を濁らせてもならない。ともあれ、”春の小川” がやがては大河に、大海へと流れゆくがごとく、年々の信心の流れと境涯をつくっていただきたいのである。  

(『池田大作全集』第68巻 渋谷文化会館落成記念勤行会 1986.12.28)

 

 

 

 

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