青年教学2級の学習

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引き続き今度は、教学試験の話題についてです。
青年教学2級試験実施ということで、とりあえず早々に大白蓮華8月臨時増刊号を2冊購入しました。

具体的にあの人というふうに、研鑽を見る相手の人が明確に居た訳ではありません。
でも、予習等とりあえず準備だけは進めて、頼まれた時に対応できるように、
「今回の試験も、お役に立てますように。
 青年部を育成する力になれますように」
と祈るところから始めました。

すると男子部の後輩からお声がかかり、あれよあれよという間に学習会を開始し、すでに3回、時間にして15時間ほど行なっています。
それだけ集中して研鑽に汗を流しているということであり、充実した時間ほど過ぎるのが早いということなのかもしれません。

今回の範囲は、立正安国論全編、種種御振舞御書全編、日顕宗を破す、の3つです。
なかでも立正安国論は重書中の重書です。
自分自身は立正安国論の試験は受けたことは無かったですが、長年の自主研鑽の積み重ねを存分に発揮して、後輩の合格に向けて着実に歩みを進めて行きます。

教えるといえばおこがましいですが、人に説明することによって、自分の理解のあやふやさなどが分かります。
2級レベルになると、インプット学習だけでなく、アウトプット学習も比率を多くすべきです。
つまり、受動的に講義・解説を聞くだけ或いは読むだけでなく、自分はどう思うか、正しい考え方はどうなのか、これまで積み重ねてきたことを総動員して、自分の言葉で言ってみる、(書いてみる)ことが大事だと思います。

また、1ページ~数ページにわたって書かれてある本文を、簡潔に一言で要約してみて、肝要を把握し、言葉の多さや情報の多さに溺れてしまわないようにすることも大事です。
段ごとに、章ごとに、自分で要約してみて、全体の流れを把握するとともに、例えばその章で大聖人は一番なにを言おうとされているのかを把握するのです。

1つ1つの言々句々まで詳細に学んだら、要約して要点をつかむ。
考えてみれば南無妙法蓮華経から一切の仏法が開かれ、諸法の営みへと展開されるのですから、「日蓮は肝要を好む」との仰せを応用することも必要と思うのです。

考えてみれば、3級→2級→1級と進むにつれて、範囲が広がるとともに深さも深くなります。
底面と高さとからなる立体をイメージすると分かりやすいですが、3級が家庭用風呂の湯ぶねとすれば、2級は銭湯の湯ぶね位の大きさでしょうか。
でも深さは家庭用の2倍~位を想像しなければなりませんね。
1級になると大げさかも知れませんが、水深10m位の広い潜水用プールにはなるでしょう。

それだけ飛躍的に容積が増えるのに、出題はピンポイントでどこから来ても不思議でないのですから、付け焼刃では太刀打ちできるものではありません。
やはり長年にわたる地道な研鑽の積み重ねが大事になってくるのですね。

ここで、日蓮大聖人の仏法は、横に大宇宙と個々の生命という小宇宙を包含し、縦に三世永遠にわたる仏の生命を説き切った、甚深な上にも甚深無量の大法であります。
その妙法を風呂の湯ぶねや潜水プールに譬えたことが不適切だと、もし思われましたらご容赦ください。

別なところである方から貴重な指摘も受けましたが、教学は単なる勉強ではありません。
すべてを記憶したかどうか、もっと言えば複雑な理論をマスターすること、駆使することだけが目的ではありません。
むしろそれらは手段とも言えるし方便ともいえましょう。

あくまで信心を深め強め、広布の実践の力として、難を乗り越えるため、生活の上で現実に幸福になるための教学であることは、ゆめゆめ忘れないよう銘記しています。

ついつい長文となってしまいました。
受験対象者の皆さま、担当者・関係者の皆さま、お互いに絶対無事故で一歩成長の夏にしてまいりましょう。

(H.28.7.23一部修正しました)

 

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