脳科学からみた「祈り」 について

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つい先ほど『脳科学からみた「祈り」』という本を読了しました。
フランスのある研究所で博士研究員をしていた著者が、最新の脳科学の知見を駆使しながら「祈り」について考察した本です。
ここでは1つだけ、印象深い部分を抜粋いたします。

生涯を利他行動に捧げた人のことを、人はとかく「自己犠牲に徹した生涯」ととらえがちです。
しかし私は、「自己犠牲」という言葉はちょっと違うと思います。
自己犠牲というと、「自分は苦しみながら人のために尽くす」というイメージになりますが、利他行動は何より自分の喜びであり、楽しみでもあった。
ヘルパーズ・ハイや深い幸福感に満ちていたに違いないのです。

本当の利他行動は深い喜びをもたらす、との知見を著者は、「愛情ホルモン」「愛の神経伝達物質」などと呼ばれるオキシトシンによって論を起こしています。
その他にも、最新科学の成果を紹介しながら、祈りについて解りやすく述べられています。
活字もかなり大きく、紙数としても手に取りやすい薄さで、配者にも配慮された作りの本です。

人の不幸を祈る=呪い が実は、祈っている人自身の脳や体にダメージを与える脳内物質を、多く分泌させるとの指摘も面白い。
脳内物質についての話しが、人類の進化や仏法の縁起にも発展・展開していき、新しい視点を数多く提起してくれるのが有り難い。
祈りを掘り下げてみたい方は、ぜひご一読をお勧めします。

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コメント

  1. Kasshini より:

    お久しぶりです。先日、広布大誓堂へ行った帰りに、この本を買ってきました。
    昨年末に、学会本部へ行った時に、この本が目に留まり、いつか買おうと考えていて、実際に勝ったのはこのタイミングとなりました。その時のこの本の著書が博文堂にずらっと並んでいましたが、今はこの本ともう1冊だけのようです。
    大河さんと気が合いそうな敬愛してやまない経営者が去ってから、牙城会着任にも負け、3週間休みなしの生活が続いています。転職を決めたとしても、周りはただで解放してくれそうにもなく、同調圧力多しで、体もそうですが、精神的負荷が一気に増して、かなり辛い日々が続いております。
    それも、今まで抑えていたもの噴き出したものと捉えて、いる間は彼らと手を取り合い、おおらかな目で見て、win-winの関係を今の現状でできる範囲でして乗り越えていこうと思っています。こちらは、一気に桜が満開になりそうですが、寒暖が非常に激しい日々が続いています。レオさんも、お元気で。

  2. レオ より:

    カッシーニさんお久し振りです、コメントありがとうございます。
    大誓堂へ行ったのですね、中はどうでしたか。

    『脳科学~ 』の本を入手されましたか。
    女性研究者らしい視点――例えば愛情のホルモンの言及など――ありますし、新しい啓発が多い本だと思います。
    川田洋一医学博士の『生命哲学入門』シリーズ1~4も、読みごたえや仏法医学では、お勧めです。

    今までの経営者の人が去ってから負荷が増しているのですね、大丈夫ですか。
    あまり無理をし過ぎずにご自愛ください。
    高い自己目標への果敢な日々の挑戦、本当にご苦労様です。
    逃げずに立ち向かえていること自体、すごい実証です、自分を褒めてあげてもいいのでは。

    カッシーニさんはまだ30歳まえですか。
    もし30歳を越えたようなら、とくに35~40位から年相応の働き方というか、意識していった方がよいかもしれません。
    野球選手なども年相応のプレーの仕方をしなければ、選手生命を縮めてしまうそうですし。
    時には、充電期間というものが必要な場合もあるでしょう。
    休みが許されない時に無理な話ですけれど。

    牙城会も10年、15年とやり切っていくなかでは、そういう時もあるのはある意味仕方ないですよ。
    生身の人間ですから、体をいたわってあげてください。
    良い意味で、「いい加減」にこだわるのも、長い人生、必要なことです。
    メンタル系の持病持はとくに大事な意識ではないかと。

    あと、例の作曲家については残念な出来事でしたね。
    まだいろいろと係争中の部分もあるようですが、芸術家のまえに1個の人間性としてどうであったか、ということが問われましたね。
    越えてはいけない一線からの、逸脱の幅が大きかった。
    何よりも支持してくれた人を裏切ってしまう結果となったのを、彼は謙虚に反省すべきでしょう。
    5年後、10年後に1人の人間として、カムバックできた姿を見たいと思います。

  3. Kasshini より:

    大誓堂の中は、とてもシンプルでした。そしてその中に、池田先生の心配り、御配慮を感じました。

    励ましのお言葉ありがとうございます。どう返事をすればいいかわからず、今はこの辺で。

    例のゴーストに関して言えば、最初は、落胆、ショックでした。金銭トラブルに関しては、音楽業界関係者とそれ以外の方では、意見の乖離が著しく、また論拠もまだまだであり、私の考えを書くことは控えています。
    実際に書いたあの方は、実際にオーケストラ曲を書きたい欲求を満たしたかった。そしてS氏の提案があり生み出された。そういう形以外では生まれないのが今の日本なのかなと思いました。ゴーストなしには、モーツァルトのレクイエム、クライスラーの諸作は世に出なかったわけで、全否定するものではありません。サイコパスの作曲者というイチャモンをつければ、ヴァーグナー、シュトックハウゼンも否定しなければならないでしょう。
    なので人憎めど作品憎まずですが、発言にフェイクはないか注意を払おうと考えたこと、また様々な作品を知るキッカケになったこと、神話なしにあの作品を聴いていいなと感じたことは、忘れられない記憶となりました。
    これまでの作品が再度リリース、演奏できる状態になり、S氏は、相応の刑を受け、神戸少年殺傷事件の方のような更生を受け、よき音楽プロデューサーになられることを願ってやみません。N氏に関しては、受けることは受け、いい作品を発表して頂ければなにも言うことはありません。

  4. レオ より:

    カッシーニさん、再度の返事遅れて申し訳ないです。
    大誓堂の質実剛健の造りであるのが少し想像できました。

    ゴースト問題については、カッシーニさんはある意味、徹して傾倒していただけに、ショックも相当だったでしょう。
    ある意味、心理的ダメージの大きさでは、被害者の1人になりましたね。

    S氏は、様々な虚言癖で多くの人の信頼を裏切ったこと、とくに東北の被災者の懇意にしていた少女の心の傷を思うと、気の毒でなりません。
    一連の詐欺的行為が、「売らんかな」目的のためだけに積み重ねられていったとしたら、その背景にS氏の深い心の闇を見ます。

    よく検証もせずに特集番組などで祭り上げていったメディア側にも落ち度は否定できません。

    いわく付の作品として将来にも残っていくのかは、定かではありませんが、芸術的才能と人間的徳を兼ね備える困難性を物語っているのでしょう。
    この意味でも妙法を持った芸術家と、妙法を持ったリスナーの使命は大きいですね。
    お互いに今回の事件を、大きな教訓として今後に生かしましょう。