本因妙の仏法(2)

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「本果妙」とは、仏が結果として得た素晴らしい姿を見せて、衆生に仏法を求める渇仰【かつごう】の心を起こさせるのである。
「あなた達も仏道修行に励むことによって、このような仏の身を得ることができるのですよ」
と、我が身で示している。

三十二相八十種好と呼ばれる色相荘厳【しきそうそうごん】の仏の姿は、現代的に言えば、あらゆる人間的魅力、人格力、財力、名声など、ありとあらゆる宝を備えた姿と言えよう。

釈尊から過去世に下種を受けていた、在世の衆生はそれで良かった。
本果妙の仏に接し、本果妙の仏法を素直に行じて、成仏することができた。
しかし末法の衆生はそうはいかない。

三毒強盛で生命が濁り切っている、すなわち根性がねじくれ返っている、末法の衆生は(もちろんかく言う私自身も含まれます)素晴らしいものを見ても素晴らしいと言えない命の衆生です。
偉大な存在も素直に偉大と捉えることができません。
色相荘厳の仏が出現しても、1人も救えない法滅の時代なのです。

そこで「本因妙」の大聖人の仏法が、赫々たる太陽のように光を放ち、全ての衆生と時代に瀰漫【びまん】する生命の闇を照らし晴らす時が今なのです。
では「本因妙」とはいったい何なのでしょう。

それは仏になる根本の因を、自らが実践することです。
自分が行ずるだけでなく、他の人々も実践していくよう、触発し勧めていくことです。
そのためには、自他の生命に具わる仏界の生命への、強盛なる「信」を、どこまでも奮い起こしていかねば、本当の「本因妙」とはならない。
視点を変えて、信仰体験からこのことを考えてみましょう。

草創から戦ってきた学会員に話を伺うと、次のような体験をよく聞きます。
「昔は折伏に行って、罵声を浴びたり、塩を撒かれたり、よくしたものです」

次のような心ない言葉を浴びせられたのも、日常茶飯だったそうです。
「あんたが幸せになったら話を聞いてやる。その時にまた出直して来い」
「あんたやあんたの子供の病気が治ったら、その仏法の話を聞こうじゃないか」
「あんたが金持ちになったら話を聞いてやるから、またその時に出直して来い」等々…。

帰りは帰りで電車賃が無く、線路沿いに学会歌を歌いながら夜通し歩いて帰宅したそうです。
(私も初めての折伏をした前後に、これらと似たような体験をしました)

こうした辱【はずかし】めにも少しも怯【ひる】まず、地涌の使命に燃えて大折伏を貫いていったのが、草創期の学会の実践だったのです。
この学会の折伏の大行進こそ、ガンジーの塩の行進やアメリカ公民権運動のバスボイコット運動、吉田松陰の草莽崛起【そうもうくっき】にも、優るとも劣らない、後世の人々が仰ぎ見る草の根の大運動なのです。

こうした「本因」を生命に刻んだ草創からの闘士が、晩年になっていよいよ福々しく年も若々しく、50人、100人という孫や家族に囲まれた、一家和楽、所願満足の実証を示しているのは、皆さんご存知の通りです。

私も「いよいよこれから」との本因妙の信心を赤々とたぎらせて前進していきます。

→本因妙の仏法(1)

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コメント

  1. 福島の壮年 より:

    『最高無二の正しい法』
    =『世界の平和と人間の幸福を追求し、実現する教え』
    =『宇宙根源の法である本因妙の法華経』

    に対する、衆生の生命的次元での反応の違いによって、
    その衆生の住む国土世間を表現する言葉に、

    「邪智謗法の国」:真に正しい法を知っていながら、
    (生命の濁りによって)それを認めることが出来ず、
    誹謗中傷する衆生に溢れた国=末法の日本の衆生。

    「無智・悪人の国土」:真に正しい法を知らないが故に、
    正しい教えに従った生き方をすることもできず、結果的に、
    正しい主張と行動をする人が軽んじられ謗られて、
    悪人が跋扈する国=日本以外の諸外国。

    と言うものがありますね。

    海外では、創価学会を知らない人たちもまだまだ多い
    ですが、その分、創価学会や究極の大乗仏教である
    大聖人の教えに対する偏見や反発も日本よりは少ない
    ようです。

    だからこそ、私の掲示板(手前味噌で恐縮です)に
    書いたようなことも起きるのでしょうね。
    http://9314.teacup.com/fukushima/bbs/287
    『日本で反発→海外で発心』

  2. Leo2014 より:

    福島の壮年さん、お久し振りです。
    返信に間が空きました。

    海外メンバーの生き生きとした姿、純真に法を求める姿に、触発されて捉え方が180度変わったのですね。
    大事なことを教えてくれるエピソードです。

    邪智謗法と悪国破法の2通りの国がある等と聞くと、海外が理想的に見える余り、出国し海外雄飛したくなるかもしれません。
    ただ、謗法の国も「毒鼓の縁」から見るならば、そうした邪【よこしま】な見方・振舞いで妙法に強く結縁した人々だと言えます。

    これからという組織の中で海外で世界広布に働く人も、国内で素直でない難しい衆生に折伏を行ずる人も、どちらも偉大な地涌の使命に違いはないですね。
    「摂受・折伏時によるべし」「末法は折伏なり(趣意)」 とあるように、海外・国内それぞれ困難を乗り越えて、法を弘める人は最も使命深き人であり偉大な人です。

    海外といえば福島の壮年さんは海外経験などはお持ちですか。
    私はモスクワ旅行が唯一の海外でした。
    クレムリンにも行きましたし、レーニンのはく製なども見てきました。
    かれこれ15年ほど前のことです。

    • 福島の壮年 より:

      仰る通りで、海外での広布拡大の活動が、けして
      容易いわけではありませんし、各国・各地域で
      一粒種として、その地の地涌菩薩の使命を果た
      さんと立ち上がられた方たちのご苦労は、並大抵
      ではないのですけれどね。

      ただ、やはり日本はSGIの世界のメンバーの
      信仰の模範にならなければいけない。
      そういう自覚を、特に次代を担う青年部には
      持って欲しい。
      そう思わずにはいられません。

      先生は、あまりにも「ためにする」誹謗中傷が
      激しく、妬みややっかみが蔓延する日本を離れ、
      学会本部をアメリカに移そうかと、真剣に考え
      られたこともあると聞いています。
      しかも、学会攻撃の首謀者の中には、あろうことか、
      当時の宗門さえも含まれているわけですが。

      >海外といえば福島の壮年さんは海外経験

      30歳代の時に、サンフランシスコから入り、
      ラスベガスなどアメリカ本土を回り、最後は
      ハワイにという1週間の旅を経験しました。

      さも権威のありそうな「パソコン利用促進協会」
      のようなところがが著作し、出版したかのように
      装った、パソコンのデータ活用術を纏める本の
      実験と、著作メンバーを私の人脈で集め、
      取り纏めをしたお礼としてプレゼントしてもらった
      旅行です。

      当時、アメリカでは日本からの輸入製品、
      中でも自動車に対する風当たりが強く、
      日本叩きが激しくなっていた時代でした。

      サンフランシスコのフリーウェイを走るバスの
      窓から見える車は、トヨタ、日産、ホンダなど、
      確かに日本からの輸入車が7割以上を
      占めている感触でしたね。

      「ああ、これじゃあ、アメリカの国内自動車産業で
      働く人たちは、日本人が、自分たちの仕事を
      奪っている」
      と、感じても仕方がないよな・・・と思ったものでした。

      ”Japan as Number One: Lessons for America”
      世界(アメリカ)が「日本に学べ」と言われた時代
      でしたが、経済面で日本が「一人勝ち」状態では、
      やはり、反発を招きます。

      レオさんは、モスクワですか。
      それはまた、全く違う歴史と文化を感じられた
      ことでしょうね。

      お忙しいのでしょうから、返信には余りお気を
      遣われませんように。

  3. Leo2014 より:

    福島の壮年さん、日本の特に青年部が世界の模範になってほしい、との仰せはなるほど本当にそうですね。
    同じ持つなら気宇壮大な気概を、青年のみならず持ちたいですね。

    アメリカ各地を周られたのですか、私も最初に就職した会社が米国が本社だったので、ずっとアメリカは憧れであり、一度は行ってみたいと思っています。
    日米貿易摩擦の往時の真っ只中の訪米で、肌身で感じたのですね。
    あの頃は、本当に酷かったですね。
    日本車がめちゃめちゃに叩き壊されている映像が印象的でした。

    私は自費で、旅行会社も自分で調べて申込し、直接、外務省ロシア課とやり取りしたこともありました。
    色々と大変だった分、よい経験ができ勉強になりました。
    モスクワとは「母なる都市」との意味と知ったのもその時です。

    モスクワの街並みも人々の風情も日本とは別世界でしたが、ロシア人の好悪両面も垣間見ましたが、素朴さ人懐っこさは好感を持ちました。
    私が訪露した時はちょうど米国同時多発テロの2カ月後位で、搭乗のチェックが厳重でした。
    お守り御本尊をお持ちしましたが、何であるのか係官に追及され、下手な英語で一生懸命説明したら、やっと通してくれました。

    しかも、11時間以上の飛行を経てシェレメチボ空港上空に着いたのですが、酷い吹雪でなかなか着陸できず、後で聞いたのは、近くの別な空港へ変更する検討もなされていたそうです。

    ま、語ると切りがないですが、確か4泊5日位の日程で、いろいろと冒険に富んだ面白い旅でした。
    海外雄飛も考えながら、まずは1度海外旅行が先だと思索し、見事に祈りが叶った経験でした。
    やはり海外の土を踏んだだけでも、確実に視野は広がりますね。
    井の中の蛙【かわず】が少しだけ大海を垣間見ることができました。
    長文失礼しました。

  4. 福島の壮年 より:

    >自費で、旅行会社も自分で調べて申込し、直接、
    >外務省ロシア課とやり取りした

    それは、大変だったでしょうね。
    そういえば、池田先生が愈々海外広布へと具体的に
    行動を取られようとした際に、渡米の準備には、
    当時の外務省からは、かなりの嫌がらせを受けて、
    手続きには相当手間取ったようですね。

    思い出したついでに、次のようなPDFファイルが
    公開されています。
    アメリカにおける宗教者社会学の研究論文として、
    創価学会がどう取上げられているのか、興味が
    あったらお時間のあるときにでも検索して読んで
    みて下さい。
    (URLは長すぎるので貼り付けません。タイトルを
    コピペして検索をかければ、出てくると思います)

      人間科学:大阪府立大学紀要9(2013),63-99
      『SGI-USA の50 年(1) ハワイから西海岸まで
     -アメリカ合衆国における創価学会インタナショナル-
             (秋庭 裕博士)

    >お守り御本尊をお持ちしましたが、
    >何であるのか係官に追及され、

    これは、説明するのが難しいかったことでしょうね。
    ましてや、米国同時多発テロの2カ月後位ということ
    ですから、そりゃ、こと細かに聞かれますよね。

    そう言えば、まだSGIも組織されていなかった当時の
    アフリカで、内戦に巻き込まれて逃げ惑う群衆の中に、
    学会員の日本人がいて(現地駐在の日本企業社員で
    しょうか)、紙幅の御本尊(今のようにお守り御本尊を
    一般会員が持てる時代ではありませんでしたので)を
    胸に抱えて逃げながら、このままではどこかに落として
    しまいそうだと、途中で踏み躙られない場所を選んで、
    土に穴を掘って隠し、とにかく逃げて逃げて、やっと
    逃げ切った後に、騒動が落ち着いてから取りに戻った
    というような話を聞いたことがあります。

    >モスクワの街並みも人々の風情も日本とは別世界

    そうでしょうね。
    いい経験をされましたね。

    >モスクワとは「母なる都市」との意味

    そうなんですね。
    私も初めて知りました。
    何だか、レニングラードがサンクトペテルブルグへと
    改称されたのとは対比を成すようなお話ですね。

    住んでいる地域が近ければ、是非いろいろとお話を
    伺いところです。

    勉強になりました。
    ありがとうございました。

  5. Leo2014 より:

    ご紹介のPDF文章は未だ読めてません。
    PCには取込んでおり、いつでも読めるようスタンバイしてあります。

    もともと創〇会(車両誘導役員)だったところへ、王〇会(会館警備)とさらに新聞代配のお声も掛かり、認知の父のこと、仕事や資格試験などと題目へも毎日90分の持続、日々のラインの活動と、かなり多忙となりました。

    無事故を最優先に、無理をしないように頑張り始めたところです。

    いろいろと深いご理解を有難うございます。
    また宜しければ、海外でのご経験や見聞等をお聞かせください。