「本果妙」とは、仏が結果として得た素晴らしい姿を見せて、衆生に仏法を求める渇仰【かつごう】の心を起こさせるのである。
「あなた達も仏道修行に励むことによって、このような仏の身を得ることができるのですよ」
と、我が身で示している。
三十二相八十種好と呼ばれる色相荘厳【しきそうそうごん】の仏の姿は、現代的に言えば、あらゆる人間的魅力、人格力、財力、名声など、ありとあらゆる宝を備えた姿と言えよう。
釈尊から過去世に下種を受けていた、在世の衆生はそれで良かった。
本果妙の仏に接し、本果妙の仏法を素直に行じて、成仏することができた。
しかし末法の衆生はそうはいかない。
三毒強盛で生命が濁り切っている、すなわち根性がねじくれ返っている、末法の衆生は(もちろんかく言う私自身も含まれます)素晴らしいものを見ても素晴らしいと言えない命の衆生です。
偉大な存在も素直に偉大と捉えることができません。
色相荘厳の仏が出現しても、1人も救えない法滅の時代なのです。
そこで「本因妙」の大聖人の仏法が、赫々たる太陽のように光を放ち、全ての衆生と時代に瀰漫【びまん】する生命の闇を照らし晴らす時が今なのです。
では「本因妙」とはいったい何なのでしょう。
それは仏になる根本の因を、自らが実践することです。
自分が行ずるだけでなく、他の人々も実践していくよう、触発し勧めていくことです。
そのためには、自他の生命に具わる仏界の生命への、強盛なる「信」を、どこまでも奮い起こしていかねば、本当の「本因妙」とはならない。
視点を変えて、信仰体験からこのことを考えてみましょう。
草創から戦ってきた学会員に話を伺うと、次のような体験をよく聞きます。
「昔は折伏に行って、罵声を浴びたり、塩を撒かれたり、よくしたものです」
次のような心ない言葉を浴びせられたのも、日常茶飯だったそうです。
「あんたが幸せになったら話を聞いてやる。その時にまた出直して来い」
「あんたやあんたの子供の病気が治ったら、その仏法の話を聞こうじゃないか」
「あんたが金持ちになったら話を聞いてやるから、またその時に出直して来い」等々…。
帰りは帰りで電車賃が無く、線路沿いに学会歌を歌いながら夜通し歩いて帰宅したそうです。
(私も初めての折伏をした前後に、これらと似たような体験をしました)
こうした辱【はずかし】めにも少しも怯【ひる】まず、地涌の使命に燃えて大折伏を貫いていったのが、草創期の学会の実践だったのです。
この学会の折伏の大行進こそ、ガンジーの塩の行進やアメリカ公民権運動のバスボイコット運動、吉田松陰の草莽崛起【そうもうくっき】にも、優るとも劣らない、後世の人々が仰ぎ見る草の根の大運動なのです。
こうした「本因」を生命に刻んだ草創からの闘士が、晩年になっていよいよ福々しく年も若々しく、50人、100人という孫や家族に囲まれた、一家和楽、所願満足の実証を示しているのは、皆さんご存知の通りです。
私も「いよいよこれから」との本因妙の信心を赤々とたぎらせて前進していきます。
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コメント
『最高無二の正しい法』
=『世界の平和と人間の幸福を追求し、実現する教え』
=『宇宙根源の法である本因妙の法華経』
に対する、衆生の生命的次元での反応の違いによって、
その衆生の住む国土世間を表現する言葉に、
「邪智謗法の国」:真に正しい法を知っていながら、
(生命の濁りによって)それを認めることが出来ず、
誹謗中傷する衆生に溢れた国=末法の日本の衆生。
と
「無智・悪人の国土」:真に正しい法を知らないが故に、
正しい教えに従った生き方をすることもできず、結果的に、
正しい主張と行動をする人が軽んじられ謗られて、
悪人が跋扈する国=日本以外の諸外国。
と言うものがありますね。
海外では、創価学会を知らない人たちもまだまだ多い
ですが、その分、創価学会や究極の大乗仏教である
大聖人の教えに対する偏見や反発も日本よりは少ない
ようです。
だからこそ、私の掲示板(手前味噌で恐縮です)に
書いたようなことも起きるのでしょうね。
http://9314.teacup.com/fukushima/bbs/287
『日本で反発→海外で発心』
福島の壮年さん、お久し振りです。
返信に間が空きました。
海外メンバーの生き生きとした姿、純真に法を求める姿に、触発されて捉え方が180度変わったのですね。
大事なことを教えてくれるエピソードです。
邪智謗法と悪国破法の2通りの国がある等と聞くと、海外が理想的に見える余り、出国し海外雄飛したくなるかもしれません。
ただ、謗法の国も「毒鼓の縁」から見るならば、そうした邪【よこしま】な見方・振舞いで妙法に強く結縁した人々だと言えます。
これからという組織の中で海外で世界広布に働く人も、国内で素直でない難しい衆生に折伏を行ずる人も、どちらも偉大な地涌の使命に違いはないですね。
「摂受・折伏時によるべし」「末法は折伏なり(趣意)」 とあるように、海外・国内それぞれ困難を乗り越えて、法を弘める人は最も使命深き人であり偉大な人です。
海外といえば福島の壮年さんは海外経験などはお持ちですか。
私はモスクワ旅行が唯一の海外でした。
クレムリンにも行きましたし、レーニンのはく製なども見てきました。
かれこれ15年ほど前のことです。
仰る通りで、海外での広布拡大の活動が、けして
容易いわけではありませんし、各国・各地域で
一粒種として、その地の地涌菩薩の使命を果た
さんと立ち上がられた方たちのご苦労は、並大抵
ではないのですけれどね。
ただ、やはり日本はSGIの世界のメンバーの
信仰の模範にならなければいけない。
そういう自覚を、特に次代を担う青年部には
持って欲しい。
そう思わずにはいられません。
先生は、あまりにも「ためにする」誹謗中傷が
激しく、妬みややっかみが蔓延する日本を離れ、
学会本部をアメリカに移そうかと、真剣に考え
られたこともあると聞いています。
しかも、学会攻撃の首謀者の中には、あろうことか、
当時の宗門さえも含まれているわけですが。
>海外といえば福島の壮年さんは海外経験
30歳代の時に、サンフランシスコから入り、
ラスベガスなどアメリカ本土を回り、最後は
ハワイにという1週間の旅を経験しました。
さも権威のありそうな「パソコン利用促進協会」
のようなところがが著作し、出版したかのように
装った、パソコンのデータ活用術を纏める本の
実験と、著作メンバーを私の人脈で集め、
取り纏めをしたお礼としてプレゼントしてもらった
旅行です。
当時、アメリカでは日本からの輸入製品、
中でも自動車に対する風当たりが強く、
日本叩きが激しくなっていた時代でした。
サンフランシスコのフリーウェイを走るバスの
窓から見える車は、トヨタ、日産、ホンダなど、
確かに日本からの輸入車が7割以上を
占めている感触でしたね。
「ああ、これじゃあ、アメリカの国内自動車産業で
働く人たちは、日本人が、自分たちの仕事を
奪っている」
と、感じても仕方がないよな・・・と思ったものでした。
”Japan as Number One: Lessons for America”
世界(アメリカ)が「日本に学べ」と言われた時代
でしたが、経済面で日本が「一人勝ち」状態では、
やはり、反発を招きます。
レオさんは、モスクワですか。
それはまた、全く違う歴史と文化を感じられた
ことでしょうね。
お忙しいのでしょうから、返信には余りお気を
遣われませんように。
福島の壮年さん、日本の特に青年部が世界の模範になってほしい、との仰せはなるほど本当にそうですね。
同じ持つなら気宇壮大な気概を、青年のみならず持ちたいですね。
アメリカ各地を周られたのですか、私も最初に就職した会社が米国が本社だったので、ずっとアメリカは憧れであり、一度は行ってみたいと思っています。
日米貿易摩擦の往時の真っ只中の訪米で、肌身で感じたのですね。
あの頃は、本当に酷かったですね。
日本車がめちゃめちゃに叩き壊されている映像が印象的でした。
私は自費で、旅行会社も自分で調べて申込し、直接、外務省ロシア課とやり取りしたこともありました。
色々と大変だった分、よい経験ができ勉強になりました。
モスクワとは「母なる都市」との意味と知ったのもその時です。
モスクワの街並みも人々の風情も日本とは別世界でしたが、ロシア人の好悪両面も垣間見ましたが、素朴さ人懐っこさは好感を持ちました。
私が訪露した時はちょうど米国同時多発テロの2カ月後位で、搭乗のチェックが厳重でした。
お守り御本尊をお持ちしましたが、何であるのか係官に追及され、下手な英語で一生懸命説明したら、やっと通してくれました。
しかも、11時間以上の飛行を経てシェレメチボ空港上空に着いたのですが、酷い吹雪でなかなか着陸できず、後で聞いたのは、近くの別な空港へ変更する検討もなされていたそうです。
ま、語ると切りがないですが、確か4泊5日位の日程で、いろいろと冒険に富んだ面白い旅でした。
海外雄飛も考えながら、まずは1度海外旅行が先だと思索し、見事に祈りが叶った経験でした。
やはり海外の土を踏んだだけでも、確実に視野は広がりますね。
井の中の蛙【かわず】が少しだけ大海を垣間見ることができました。
長文失礼しました。
>自費で、旅行会社も自分で調べて申込し、直接、
>外務省ロシア課とやり取りした
それは、大変だったでしょうね。
そういえば、池田先生が愈々海外広布へと具体的に
行動を取られようとした際に、渡米の準備には、
当時の外務省からは、かなりの嫌がらせを受けて、
手続きには相当手間取ったようですね。
思い出したついでに、次のようなPDFファイルが
公開されています。
アメリカにおける宗教者社会学の研究論文として、
創価学会がどう取上げられているのか、興味が
あったらお時間のあるときにでも検索して読んで
みて下さい。
(URLは長すぎるので貼り付けません。タイトルを
コピペして検索をかければ、出てくると思います)
人間科学:大阪府立大学紀要9(2013),63-99
『SGI-USA の50 年(1) ハワイから西海岸まで
-アメリカ合衆国における創価学会インタナショナル-
(秋庭 裕博士)
>お守り御本尊をお持ちしましたが、
>何であるのか係官に追及され、
これは、説明するのが難しいかったことでしょうね。
ましてや、米国同時多発テロの2カ月後位ということ
ですから、そりゃ、こと細かに聞かれますよね。
そう言えば、まだSGIも組織されていなかった当時の
アフリカで、内戦に巻き込まれて逃げ惑う群衆の中に、
学会員の日本人がいて(現地駐在の日本企業社員で
しょうか)、紙幅の御本尊(今のようにお守り御本尊を
一般会員が持てる時代ではありませんでしたので)を
胸に抱えて逃げながら、このままではどこかに落として
しまいそうだと、途中で踏み躙られない場所を選んで、
土に穴を掘って隠し、とにかく逃げて逃げて、やっと
逃げ切った後に、騒動が落ち着いてから取りに戻った
というような話を聞いたことがあります。
>モスクワの街並みも人々の風情も日本とは別世界
そうでしょうね。
いい経験をされましたね。
>モスクワとは「母なる都市」との意味
そうなんですね。
私も初めて知りました。
何だか、レニングラードがサンクトペテルブルグへと
改称されたのとは対比を成すようなお話ですね。
住んでいる地域が近ければ、是非いろいろとお話を
伺いところです。
勉強になりました。
ありがとうございました。
ご紹介のPDF文章は未だ読めてません。
PCには取込んでおり、いつでも読めるようスタンバイしてあります。
もともと創〇会(車両誘導役員)だったところへ、王〇会(会館警備)とさらに新聞代配のお声も掛かり、認知の父のこと、仕事や資格試験などと題目へも毎日90分の持続、日々のラインの活動と、かなり多忙となりました。
無事故を最優先に、無理をしないように頑張り始めたところです。
いろいろと深いご理解を有難うございます。
また宜しければ、海外でのご経験や見聞等をお聞かせください。