日蓮がひかうればこそ -御書二編

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種種御振舞御書p.919

いかに云うとも相模守殿等の用ひ給はざらんには日本国の人用うまじ用ゐずば国必ず亡ぶべし、日蓮は幼若の者なれども法華経を弘むれば釈迦仏の御使(おんつかい)ぞかし、わづかの天照太神・正八幡なんどと申すは此の国には重けれども梵釈・日月・四天に対すれば小神ぞかし、(中略)太政入道・隠岐(おき)法皇等のほろび給いしは是なり、

此れはそれにはにるべくもなし教主釈尊の御使なれば天照太神・正八幡宮も頭(こうべ)をかた(傾)ぶけ手を合せて地に伏し給うべき事なり、法華経の行者をば梵釈・左右に侍(はんべ)り日月・前後を照し給ふ、かかる日蓮を用いぬるともあ(悪)しくうやま(敬)はば国亡ぶべし

何(いか)に況(いわん)や数百人ににくませ二度まで流しぬ、此の国の亡びん事疑いなかるべけれども且く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ今までは安穏にありつれども・はう(法)に過ぐれば罰あたりぬるなり、又此の度も用ひずば大蒙古国より打手を向けて日本国ほろぼさるべし、ただ平左衛門尉が好むわざわひなり

 

【ひと言感想】
天皇家や武家の神である天照太神、八万大菩薩といっても、日本国という小島の小神に過ぎません。本来、法華経の行者を守護すべき諸天善神が、迫害を加えてくる者を治罰しなければ、今度は梵天帝釈の命を受けた四天王が、その小神を治罰します。梵天帝釈といえども、仏前での誓いを守るために必死に働くからです。その具体的な表れの1つが、御在世では蒙古襲来となったのでした。

内乱や外敵の侵攻、三災七難があったにも拘(かかわ)らず国が亡びず安穏であったのは、日蓮大聖人が厳然と控えられていたからこそと仰せです。大聖人こそ、日本(のみならず全世界)の柱であり眼目であり大船として、厳然と一切の民衆を護り抜かれたのです。唯一この仏法の正義を継承した創価学会こそ、現代の日本そして世界の柱なのです。

メキシコ文化会館

 

報恩抄p.311

糞(ふん)を集めて栴檀(せんだん)となせども焼く時は但(ただ)糞の香(か)なり大妄語を集めて仏と・がうすとも但無間大城なり


【ひと言感想】

2つ目の御文は短い御文ですが、真言宗を始めとする邪宗・邪義を一刀両断されています。大ウソ・デマは元より、浅薄な我見や断定など、もしその言動が悪心から出たものであったなら、いかに外見を取り繕おうとも決して栴檀にはならないし、創価の前進への貢献とはなりません。例え、御書や指導を巧みに引用したとしても捻(ね)じ曲げて捉えるだけで、我見や愚癡に終わってしまってはならない。どこまでいっても「心こそ大切なれ」です。自らも戒めていきたいと思います。

 

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