折伏は難事中の難事と言われる。
法華経宝塔品で説かれる「六難九易」では9つの容易なことと6つの困難なことが比較され、法華経を受持し抜くことや広宣流布することは「六難」の方に当てはまっている。
例えば「九易」の方には次のようなことが含まれている。
●須弥擲置易(しゅみちゃくちい) 世界の中心にあるとされた須弥山(しゅみせん)をとって他の世界へ擲(な)げ置くこと
●世界足擲易(せかいそくちゃくい) 足の指(ゆび)で大千世界を動かして遠くへ擲(な)げること
●把空遊行易(はくうゆぎょうい) 手に虚空(こくう)、大空(おおぞら)をつかんで自在に動くこと
●足地昇天易(そくちしょうてんい) 大地を足の甲(こう)の上に置いて天に昇(のぼ)ること
●大火不焼易(だいかふしょうい) 枯草(かれくさ)を負(お)って大火に入っていっても焼けないこと
これに対して「六難」には次のようなものがある。
●広説此経難(こうせつしきょうなん) 仏の滅後(めつご)の悪世(あくせ)に、多くの人々のために法華経を説くこと
●少説(しょうせつ)此経難 一人の人のためにも法華経を説くこと
上に挙げた「九易」の5項目を見ただけでも、これらのどこが容易なことなのか、と半ば呆気【あっけ】にとられるような不可能事が並ぶ。
これら「九易」に比して、法華経を自ら受持し、人に説き弘めることが、はるかに難事であるというのであるから、我々学会員が日々行なっていることがいかに物凄いことであるかが解る。
では、なぜ折伏がここまで難事であると言われるのであろうか。
私の少ない経験(年数としては長いが、成果としては少ない)のなかから、難事と言われるその正体に迫ってみようと思う。
1.人の心を変える難しさ
2.学会組織から承諾をもらう難しさ
3.受け入れ態勢を作ってもらう難しさ
4.人材育成の軌道に載せる難しさ
5.1人立ちさせる難しさ
6.己身の魔、三障四魔、三類の強敵に打ち勝つ難しさ
7.時間・労力のマネジメント、仕事との両立の難しさ
8.退転させない、自分も退転しない困難性
自分なりに考察してみると、例えば上記のような要素が列挙できると思う。
こうして列挙してみただけでも、いかに折伏が難事であっても、ヒマラヤを他の世界に投げたり、枯れ草を背負って大火に入っても焼けない、などといったことを文字通り実行すべき局面はどこにも存在しない。
つまり「六難九易」は生命論として捉えるべきなのだ。
折伏実践のうえで実践者の心行(心の働き)のあり方を教えているとも言えよう。
では、次から1つ1つ詳しく見ていこう。
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