初めての折伏が成就してから、早いものでもう26年が経ちました。
自分が再発心した時にしてもらったように、K君への勤行指導を、自宅・K君宅・職場と3つの市を往復して1ヶ月間通い続けました。
K君はその後、ベルギーやシンガポール等へ海外出張するなど、職場で実証を示します。
東京在住だった女子部幹部の方と結婚し、子どもも2人生まれました。
今では夫婦で地区部長・地区婦人部長として、神奈川の地で戦っています。
K君は母親に御本尊流布することができ、今では婦人部G長として広布の一翼を担っています。
一方、折伏をした私は病気になったりもありましたが、様々な願いを叶えることができました。
私の祈りの成就に関しては、また改めて書く機会もあるかと思います。
当時は K君にも恩ある人たちにも、私の病気のことでひとかたならぬご心配をお掛けしたことを、この場を借りてお詫びするとともに感謝申しあげます。
折伏する人の役割を言い換えると「紹介者」と呼ぶことがあります。
折伏といっても、何から何まですべて1人で行なう訳ではありません。
1人が入会し一人前の学会員になるまでには、本当に多くの同志の尽力があってこそです。
今振り返ってみれば、私はいち男子部でしたが、4者とくに壮婦の方々が本当に陰に陽に励ましてくれ、手助けしてくれました。
1人ですべてやったなどと思うのは、ある意味、増上慢かもしれません。
今度は壮年部の1人として、地区の同志の応援、特に青年部の弘経の手助けもしていきたいと決意してます。
それでこそ、自身がしてもらったことの何分の一かでも、恩返しをしていけるからです。
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コメント
折伏した友人が夫婦で地区部長、婦人部長されているとは素晴らしいです。
4者の連携も素晴らしいです。
私は2世帯折伏しましたがおふたりとも長い冬眠生活です。
コツコツいきます。
素晴らしい体験ですね。折伏も難事ですが、そのあと立派な信心をされるかどうか、これがまた大変です。私も折伏した友が今苦境に立っています。なかなか信心が身に付きませんが、少しずつ変わってきています。彼が独り立ちできた時、私の境涯も一歩前進するものと思います。私も未来の地区部長、婦人部長を育てます。
うるとらまんさん、お褒めの言葉を有難うございます。
素晴らしい折伏は出来たものの、自分がメンタルの病となって長いです。
良いこととそうでないことは、両方あってふつうなのかもしれません。
それでこそ絶妙なバランスが取れるのでしょう。
もし良いことだけしか起こらなかったとしたら、思い上がりと慢心に陥り、人間としての成長がなく、甘やかされた人間になったしまったでしょう。
2世帯もの折伏とは凄いですね、いろいろと苦労談がおありだったのでしょうね。
早稲・晩稲【わせおくて】あったとしても、必ず一生の内に成仏できると御書にあります。
紹介者にとっては、相手の方の幸福をどこまで(命懸けで)祈れるか、との戦いなのですね。
王者の剣さん、ようこそおいで下さいました。
「私の入信」の記事も興味深く読みました。
折伏を受けた側の思い、信心に対して、紹介者に対して、その一端を知ることができたような気がします。
折伏した人がさらに折伏した時に、一応の独り立ちなのでしょうね。
そして友人も広布の使命に生き切っていければ、お互いに触発し合える存在になります。
K君も地区部長とはいえ、言うに言えないような苦労も多々あると思います。
戦い抜ける軌道に乗せて頂いたことに、御本尊・同志にただただ感謝あるのみです。