人生途上に信仰ゆえの難や三障四魔が競い起る。
難や障魔など無ければ、どんなに気楽に信心できるだろう、と思うかもしれない。
できれば煩わしいことや嫌なこと苦しいことは上手に避けて、毎日、自分の趣味や道楽や好きなことだけして過ごしたいのが、人情だという人もいるでしょう。
もっと諸天善神が動きに動いて、難や障魔を未然に防いでくれたら、苦労しなくて済むのにと言って、自分がただ楽をしたいがために、諸天は何をしているのか? サボっているのか? とボヤいている人もいるかもしれない。
仏法においては「時」ということが重要な意味を持ちます。
もし難や障魔が起きなければ、正しい実践をしているがゆえの証拠であることも分かりませんし、そもそも難や障魔って何? となって御書も信心もまったく分からなくなってしまうでしょう。
そういう意味では、難を受けるべき時には真正面から受け切り乗り越えていく、魔と戦い打ち破るべき時にはその闘争に全力を傾けていくべきです。
それでこそ乗り越えた時に大歓喜がある。
鍛えがあり、すべて自己の財産になる。
創価の御本尊を持つということは、難があろうと魔が起きようと、根底は絶対の安心感がある。
何が起きようと微動だにしない、盤石な境涯を必ず築くことができるのである。
もう一点、すこし厳しいことを書こうと思う。
読んだ人は、「なにを生意気なことを言うか。何様の分際だ」と思う人ももしかしたらおられるかもしれない。
そこを承知であえて書かせてもらおう。
「羊千匹より師子一匹」
との三代の会長の言葉がある。
これを折伏に当てはめれば、羊のような1000人の会員をつくるよりも、たった1人でも本物の師子をつくれ! との仰せだと思う。
羊1000匹とは、居ても居なくてもいい人や居ない方がいい人、まして学会に迷惑を掛けるような弱く卑怯な人間1000人がいても、なんの役にも立たない。
それよりも真正の戦う師子がたった1人でも居れば、いくらでも広布の沃野は広がっていくのだ、との意味である。
折伏は人数だと思ったら大間違いの部分があろう。
現状に満足せず、さらにさらにとの折伏の戦いは、もちろん絶対に必要である。
ただ羊のような人間を10人つくとうと、100人つくろうと、大して広布には役立たないのだ。
また、常に自分は羊なのか師子なのか、厳しく自省していくことも大事だと思う。
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コメント
レオさん、こんばんわ。
羊と獅子。
先生はもっと直接的に仰っているご指導もありますね。
「数ではない、信心の深さだ」と。
会合に何人出席できたか、結集できたかではない。
参加した人が少なくても、信心を深める内容の会合をするこのほうが余程重要である。
そこから万波が起こっていく。そう仰っていましたよ。
でも、実際には火加減は難しいですよね。
あまりに燃えすぎると、周囲を火傷させたりもします(笑)
火傷させない程度に、放火するテク(聡明さと賢明さ)も必要かとも思います。
あくあでも中道。それがイイなぁ~とか、私などは、まだまだ緩い人間だったりします。
自分自身の中では、いつでも大火災が続いている状態にしていたいとは思うのですがね^^
イプシロンさん、いつもコメント有難うございます。
仰るとおりですね。
座談会に自分と2人しか例え来なかったとしても、その2人が歓喜して帰れば、それで勝利である、と。
一方で人数も大事とのご指導も聞いたことがあります。
学会が扱う数字はすべてが広宣流布の人数である。
1つとして意味のない数字はない。
実際に、広布の伸展で幸福がどれだけ広がったかを表す、貴重なうえにも尊い数字なのである。
といった内容の指導でした。
今回の記事は極論てきな一面もありましたし、言えるような分際でもなかったですが、こういう記事もたまには良いでしょう。
今日は仕事が多少忙しくなってきたので、これも祈りで引き寄せたもので、またイプシロンさん他のお陰ですが、外食にしばらく振りに行ってきました。
引っ越して初めてです。
1年以上行ってなかったと思います。
天ざるそば、ほんとささやかな贅沢でした。
というか疲れ果てて、夕食作るのも気力が起きなかったんです。
時には地域に還元する意味でもいいことでしょう。
しかし1人暮らしって出費が嵩みますな。
親元に居た時の2倍以上、へたしたら3倍近い毎月の出費です。
仕事で稼いで、経費削減と両方ガンバルしかないですね。
レオさん、こんばんわ。
一年振りの外食ですかぁ。美味しく、楽しく頂けたらいいのですがね^^
私は、自堕落なので、外食も自炊もしてませんよ。いわゆるコンビニ的生活です^^;
ご指導や、言葉に関わらず、娑婆世界では物事は全て二面性があるので、
記事を書くのも大変ですよね。
両面を書くと矛盾しているように受け取られますし、
一面を強調しすぎると、極論になりがちになる。
私もなるべく二面の双方を書こうと思いながら、それが中々できないでいます^^;
ヘッセの小説とか、見事なまでに二面性を徹底的に表現してるんですよ。
もういいよ・・・わかった・・・しつこいし・・・くらいですよ(笑)
何にしても、私などまだまだ若輩もいいところ。
もっと「行学」に励まないとと、日々反省しながらの毎日です。
お仕事を引き寄せたのはレオさんご自身ですよ^^ 凄いですね^^ 福運万歳ですね^^
はやくお大臣になって、会った時には、天そば特盛りでも、おごってくださいネ(笑)
こちらは梅雨に入ったようです。北海道は梅雨ないんですよね。
羨ましいなぁ^^ お体充分に、気を付けてくださいネ^^
イプシロンさん返事遅れて申し訳ない。
自炊もしてないとなると高く付きませんか?
野菜や果物、ミネラルやビタミンなども摂るのが大事ですね。
二面性でしたか・・・・こじつけと言われるかもしれませんが、総別の二義とも言えそうですね。
後輩などにおごったのは度々あります。
天ざるそばや寿司などなど。
おごってもらったことも度々ありますね。
お大臣だなんてまったく興味ないです。
早く人並みの生活にもっていこうと苦闘してます。
というより、早く経済革命し仕事で実証示し、一家和楽の家庭等々、勝ち取りたいですよ。
そうであってこそ、仏法の話しもまともに聞いてくれるというものです。
もう26年くらい折伏1世帯もしてないですから、行き詰まり感は半端でないです。
「今世の使命を、折伏の使命を果たさせてください」
と今日も祈りました。
化他行であり広布の戦いをしなければ、幸福にはなれないし功徳も出ない。
プロ野球選手で言えば、いくら練習を真面目に人の何倍も頑張ったとしても、素振りを何十万回したとしても、本番の試合で結果や成績を残せなければ、プロとして残ることはできません。
やはり折伏や広布と言っても、発心下種と聞法下種は功徳は同じと言っても、やはり結果が大事です。
明確な結果に結びつかない行動は、どこか空転であり、祈りも行動も弱いのかもしれません。
負けグセ、負け犬根性、自己弁護などが知らず知らずに染み付いてしまったとしたら、こんなに怖いことはないと思います。
やはり、人を頼る心があれば折伏はできないのですね。
あ、お会いできた時に、天そば特盛ですね、承知しました。
但し、持ち合わせあれば、ですけれどね(笑)