始より終りまで、いよいよ信心をいたすべし

この記事は約2分で読めます。

過去記事から抜粋します。

今年の世間を鏡とせよ
若干(そこばく)の人の死ぬるに
今まで生きて有りつるは
此の事にあはん為なりけり、

此れこそ宇治川を渡せし所よ
是こそ勢多(せた)を渡せし所よ
名を揚(あぐ)るか名をくだすかなり、
人身は受け難く法華経は信じ難しとは是なり、

釈迦多宝十方の仏来集して我が身に入りかはり
我を助け給へと観念せさせ給うべし
(弥三郎殿御返事1451ページ)

さて、今回の戦いも残すところあと2日となりました(当日を除いた場合)。何度も何度も拝してきた新池御書に次のようにあります。

始より終りまで、弥(いよいよ)信心をいたすべし
さなくして後悔やあらんずらん、
譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、
それを十一日余り歩(あゆみ)をはこ(運)びて
今一日に成りて歩をさしをきては、
何として都の月をば詠(なが)め候べき

(p.1440)

都の京への道のりも11日歩んできて、やっとあと1日の所まで来たのに、歩むのを止めて引き返したりしてしまえば、すべてが無駄になってしまいます。せっかく楽しみにしてきた旅の目的である、都の月をこの目で見ること(=勝利の歓喜を味わうこと)もできなくなってしまいます。

戦いも長期になると、どうしても疲れも溜まり気の緩(ゆる)みも出てきます。「ここまで本当に良くやった。もう勝ったも同じだ。あと1~2日頑張ったって、結果には影響しないだろう」ゴールまであと一歩ともなると、 どうしてもこのような油断も出てきます。

敵もどの陣営も、まさに死に物狂いで戦っています。ゴールのテープを切る瞬間まで、勝敗は分からないのです。池田先生は次のように指導されています。

いかなる戦いも、「勝つ」と決めて、最後の最後まで進み抜いた方が勝つ。いざという時に戦い切れば、永遠に崩れない常楽我浄の軌道を開くことができる。

今は大功徳・大福運を受けられる扉が大きく開いている時です。この時に戦い切れるかどうかが、これからの宿命転換を決します。自己の決めた目標を達成すべく、最終盤、改めて気を引き締めて、戦いきっていきます。

 

 

ご投票宜しくお願いします↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へにほんブログ村


コメント