夕張炭労事件55周年(2)

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2.夕張炭労事件について

(以下は、随筆・新・人間革命にからの文章です)

1957年(昭和32年)の6月のことである。

事件は、炭鉱の街・北海道夕張で起こった。
前年の7月に行われた参議院選挙で、夕張炭鉱の学会員が、学会推薦の候補者を推(お)したところから、炭労(炭鉱労働組合)は、「統制を乱した」として、学会員の締め出しを図り、公式にも”対決”を決議したのだ。
いわゆる「夕張炭労事件」である。

当時、炭労といえば、「泣く子と炭労には勝てない」といわれるほど、組合員に対しては、絶大な権力を誇っていた。
それまでにも、何人もの同志が、事務所に呼び出され、「信心をやめなければ、組合をやめてもらう」と、迫られた。組合を除名になることは、そのまま、失職を意味していた。
学会員というだけで、村八分同然の仕打ちを受けた。
親ばかりでなく、子供までもが除け者(よけもの)にされた。
悪質なビラが、電柱や家の壁に張られた。有線放送でも非難・中傷が流された。
労働者の権利を守る組合が、「信教の自由」を侵(おか)し、人権を踏み躙(にじ)るという、転倒であり、卑劣なる暴挙であった。

私たちは、激怒した。
そして立ち上がった。
”愛する同志を、断固として守ろう! 断じて勝ってみせる!”と。

6月28日、若き獅子は、北海道に飛んだ。
先生のお体の衰弱は、既に甚だしく、私は、師に代わって、いっさいの学会の責任を担う”船長”の立場にいた。

既成の権力が、非道な弾圧を仕掛けるなら、われらは正義の旗のもとに立ち上がる!
不屈の勇気を燃え上がらせる!
私は、信仰に励む健気な庶民の家々を駆け巡り、訴え抜いた。

「同志よ、共に戦おう!」
「絶対に、負けてはならぬ!」

6月30日東京で結成されたばかりの学生部諸君が後に続くことを信じ、「札幌大会」と「夕張大会」が行われた北の天地で、炭労への抗議の矢を放ち、決然として宣言した。
「わが学会は、日本の潮(うしお)であり、その叫びは、獅子王の叫びである!」と。

やがて炭労側は、学会員を排除しようとする闘争方針を改めていくことになる。
民衆の真実の団結と雄叫びが、傲慢な弾圧を打ち破ったのである。
御聖訓には、「始めは事なきやうにて終(つい)にほろびざるは候はず」(御書1190p)と。
強大な力をもった炭労も、やがて衰え、時代の表舞台から去っていった。

大阪府警から、私に出頭の要請が来たのは、この北海道の激戦のさなかであった。
四月に行われた参院大阪地方区の補欠選挙で、一部の会員のなかから選挙違反の容疑者が出たことから、支援活動の最高責任者であった私に、出頭せよというのである。
そこには、創価学会という新しき民衆運動を恐れ、打ち砕こうと動き始めた、国家権力のどす黒い意図があったことはいうまでもない。

蓮祖は仰せである。
「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ」(同1589p)と。
われらは、背信の輩(やから)が勝ち誇るような時代を、断固、変えねばならぬ。
無名の庶民の真の英雄たちが、人生の勝利の賛歌を、高らかに謳い上げていける時代をつくらねばならぬ。
そのためには、何ものにも、臆せず、動ぜず、忍耐強く、断じて戦い抜くことだ!

※出典
1) 人間革命 第11巻 夕張の章
2) 随筆・新人間革命
3) 北海道広布40年史

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