国家試験7度目の結果

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昨年8月に国家試験7回目挑戦しました。
とくに今回は芳【かんば】しくない結果だったので、ここでは触れないようにしてきました。
しかし半年が経過し、いつまでも放っておく訳にはいかないので、振り返りを行ない、気持ちの整理をできればと思います。

7回目の今回は、「経営情報システム」1科目のみ科目合格していますので免除となり、合計6科目を受験しました。

1.経済学・経済政策
2.財務・会計
3.企業経営理論
4.運営管理
5.経営法務
6.中小企業経営・中小企業政策

とくにこの内、「財務・会計」と「経営法務」が各々40点以下と余りに酷い点数でした。
逆にあともう少しで科目合格に届きそうだったのが、「運営管理」と「中小企業経営・中小企業政策」でした。

6科目全体では約46%の得点となり、1次合格には15%程度足りていない結果となりました。

専門学校生などの受験体験を見ると、1次試験は案外、2~3回で合格していく人が多いようです。
いくら独学のうえ、50歳になり頭脳の固い自分とはいえ、7回も受けて1~2科目の合格がやっと、という現状にあります。

この試験の本当の難しさは2次試験であるのに、7回受けてその土俵に上がることすらできませんでした。

1次の合格率が約20%で、1次合格者が受験する2次はさらに合格率約20%なのです。
つまり、
0.2×0.2=0.04=4%
が1次2次ストレート合格する場合の合格率となります。
旧・司法試験が2~3%程度ですから、それに匹敵する位の難しさです。

ともかく、この試験の本格的困難は2次試験に待っているのです。
もちろん2次の対策も少しずつ行なってはいますが、未だ1度も受験資格さえ手にできていないのが、厳しき現実です。

試験問題を作る先生たちも、一定の割合で落とすことを狙って問題の難易度を保っている訳ですから、早い話が「甘い」試験ではないことが、だいぶ身に染みて分ってきました。

ここまで悲観的材料を並べ立てましたが、良い材料もあります。
まず、テキストや問題集を完全読了したものは10冊、総ページ数2,750ページにのぼります。
途中まで読んだページを全て含めると、合計4,000ページを超えるでしょう。

書いたノートも大学ノートで4冊目に入りました。
こちらは4冊位ではまだまだ足りないとも思います。

ともかく、倦【う】まず弛【たゆ】まず努力を継続するしかありません。
最近では合格者の良質の体験書籍を参考にしながら、学習法を常に見直し改善・進化させることも心掛けています。

結果は厳しいものがありますが、こうして負けないで挑戦を続けられることに、様々な意味で、創価の信仰が根本にあるからこそであり、深く感謝しています。
あとは、勝利の報告を先生と恩ある人々にしていけるよう、そして後に続く同窓生の道を切り開いていけるように、また新たな清新な心で前進してまいります。

(平27年2月26日修正)

 

 

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コメント

  1. 虎キチ より:

    レオさん こんばんは
    いや~感動しますね 頭が下がります

    習得は反復・繰り返しにあり
    唱題行も反復・繰り返しですよね
    どれだけ繰り返したかが修業なのでしょうか

    挑戦を続けていること、それ自体がすごい財産ですね
    倦まず弛まず、ですか 私も見習いたいと思います

  2. 福島の壮年 より:

    虎キチさんい同意です。

    >倦【う】まず弛【たゆ】まず努力を継続

    「天才とは、努力が苦にならない人」の異名なのだとか。
    レオさんのその姿勢こそが、「天賦の才」ですよね。

    >後に続く同窓生の道を切り開いていけるよう

    まさに、創価の信仰の真骨頂が、これですね。
    「自分の役に立つから」だけだったら、どんなに努力しても
    「二乗根性」に堕してしまいかねませんが、
    「自分が高みを目指す」ことが、後に続く人の「道しるべ」に
    なっていくという、その発想自体が、創価の生きかたそのもの
    だと感じます。

    ※実際に、犯罪には法の盲点を衝くことに、かなり心血を
     注いでいるものもあります。
     ワルはワルなりに「悪知恵」を働かせて、努力をしている
     のでしょう。

  3. Leo2014 より:

    虎キチさん、こんばんは。
    唱題の反復も学習の反復も、単なる繰り返しだけでは惰性に陥りやすいです。
    1つは、決してあきらめない、負けない強靭な一念と、2つ目は、誓願の信心が強調できます。

    反復していれば自然に、やがて目標に達するという甘い一念では、何事も成就できないものなのでしょうね。
    常に自分を鼓舞し、自己の弱き心を叩き出し、強靭な自身に鍛え上げていく「誓願」あってこそ、真の前進があるのですね。

    しかもその誓願はエゴという「小我」ではなく、「広布のため」という「大我」に基づく誓願の祈りと行動を重ねることが必要なのですね。

    私の場合は国家試験でしたが、虎キチさんも何か挑戦されていること、長年持続されてることがあるはずです。
    このブログで良ければ、コメント欄にご披露頂ければ嬉しく思います。

  4. Leo2014 より:

    福島の壮年さん、こんばんは。
    「天賦の才」といったものかどうかは分りませんが、派手なことよりコツコツ努力すること、何かを勉強することは私の性に合っているようです。

    その反面、国家試験勉強を貫くうえで、犠牲にしてきたことも幾つかあります。
    身体の運動不足であるとか、目の酷使であるとか、目の前の生活面、収入面での充実であったりです。
    身体中、首も腰も肩も凝りまくっており、体重も微増傾向で、目はショボショボ感を通り越して常に違和感があるのは普通です。

    1つのことを徹底するということは、その他の事柄には時間や労力を割けないということですね。
    その割り切りができない人、あれもこれもを欲しがる欲深い人には、徹底することはできないでしょう。
    他のことは犠牲にする覚悟が必要な面があり、この道も決して生易しい道ではありません。
    大して成果を上げてない私が言うのも生意気ですかね。

    「二乗根性」でなく「創価の生き方」を目指す、との仰せ、全くその通りです。
    自己の名聞名利だけの追求なら、全くもってつまらないことであり、人生の浪費です。

    悪人は悪知恵を働かせ悪だくみに血道をあげます。
    福島の壮年さんが仰るように、「努力も善悪に通じる」ものなのかもしれませんね。
    であるがゆえに、「善の努力」を弛みなく持続・挑戦していくことが大事なのですね。

  5. 虎キチ より:

    レオさん こんにちは

    私は今は長年持続して挑戦していることがないんですよ
    なのでレオさんの挑戦に感動もし、頭の下がる思いなんです

    ところで、単なる繰り返しも、実はたやすいことではありません
    レオさんの言われる『常に自分を鼓舞し、自己の弱き心を叩き出し、強靭な自身に鍛え上げていく「誓願」』がないと、そもそも反復はやり続けられません

    その分野の達人は、当たり前のことを当たり前でないくらい繰り返すそうですから

    六難九易の六難も、繰り返さなくていいのなら難事ではないでしょうしね

    繰り返しますが、挑戦し続けているレオさんには感動していますよ

  6. Leo2014 より:

    虎キチさん、ご理解と励まし感謝します。

    特に紹介することがないというのは、ご謙遜もありますか。
    仕事を続けていること、お互いに長年生きていることも、挑戦と持続があったればこそですよね。

    >その分野の達人は、当たり前のことを当たり前でないくらい繰り返すそうですから

    >六難九易の六難も、繰り返さなくていいのなら難事ではないでしょうしね

    何事であれその道の達人は、ひとつ事に徹底するということ、基本の繰り返しに徹すること、私も何度か聞いたことがあります。
    将棋の羽生名人も一時のひらめきも大事だが、それを何十年と持続してこそ真の才能である、との趣旨のことを言ってました。

    六難九易については、そういう考えはしたことなかったですが、なるほどそういう見方もできますね。
    「火の信心」より「水の信心」が正しいと御書にありますが、「進まざるは退転」を常に戒め、持続することが重要なのですね。

    もう一点、「以信得入」とあるように智慧第一と言われた舎利弗でさえ、自分の智慧により成仏したのでなく、結局は法華経を「信ずる」心を起こしたことにより、甚深無量の仏の智慧の門に入ることができました。
    題目を反復するといっても、「信」の無い題目であれば、極論すればただの口の運動に過ぎなくなってしまいます。
    もちろん、信ぜずして唱え続けることはできないとは思いますけれど。

    さらに言えば、「自行化他」の題目であるかどうかです。
    一文一句でも人に語り勧める実践としての学会活動が、不可欠なのです。
    長文スミマセン。