今年186万遍達成

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今年元日から10月末日までで186万遍の唱題をやり切りました。
この5年と10カ月だけで集計すると1186万遍となり、再発心後の29年間で3600万遍達成となりました。

いまのペースがだいぶ確固として定着してきました。
あとはしっかりと「自行化他」にわたる唱題行を、さらに強盛に実践していきます。

ところでこの3600万遍という題目ですが、1000遍=15分で数えると、3600万遍=9000時間となります。

この9000時間というのはどういう長さかというと、
9000時間/24時間=375日
という結果が得られます。
すなわち1年間と10日間を毎日、24時間ぶっつづけで唱え続けたのと、時間的には等しいのです。
それだけの量を約30年間かかって、コツコツと積み重ねてきたことになります。

振り返ってみれば、石の上にも30年です。
少年部時代の分も含めれば少しは増えるでしょうか。

これを機会にさらに遡【さかのぼ】ってみますと、私が勤行を覚えたのはもう46~47年も前になるでしょうか。
当時は愛知県の春日井市に住んでおり、未だ小学校に上がるだいぶ前だったと思います。
今でもその時の光景を鮮明に覚えています。

私の母がある日突然、トランプカードより少し小さいサイズに切った画用紙だったのでしょうか、1枚1枚に、あいうえお55音を書いたものを、幼い私に見せ、
「これは『あ』だよ。『あ』。『あ』。さぁ、『あ』と言ってごらん」
といった具合に、徹底してひらがなから覚えさせられました。
完全に覚えるまで毎日毎日、特訓でした。

あいうえお55音が一通り言えるようになると、なんと今度は法華経方便品と寿量品をまずは読めるように、母から徹底してトレーニングされました。
全部でどれくらいの時間で覚えたかは記憶が定かでありませんが、数カ月でマスターしたでしょうか。

そのことが私の幼年時代の記憶として鮮明に焼き付いています。
今はその母も73歳になります。
今の自分があるのは、母を初め多くの導いてくれた恩人たちが居てくれたからこそであり、深く感謝致します。
学会指導に、次のようにあります。

「人に言ったら愚癡になり、御本尊に言ったら祈りになる」

「題目には鉄の扉を開く力がある」

さらに、創大卒業式で先生より直に聞いた、アルゼンチンの詩人であり教育者のアルマフエルテの詩に、こうあります。

「苦悩は
弱い者にとっては
閉ざされる扉であり
強い者にとっては
開かれゆく扉である」

苦悩は、弱い人間にとっては、前途を阻【はば】む。
しかし、強い人間にとっては、苦悩さえも、前途を洋々と開く、きっかけとなる。
すべては、自分自身の「心」で決まる。決心で決まる。「心こそ大切なれ」である。

今後も、弥々【いよいよ】信心の情熱を燃え上がらせ、「熱湯の信心」で前進していきます。
長文失礼しました。

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コメント

  1. marimo より:

    どうも、しばらくでした。
    最近、いろいろと忙しくてネットのほうがお留守になっております^^
    今月、大誓堂にいくことになりました。
    できたら、その模様なども後で報告したいと思っております。

  2. Leo2014 より:

    marimoさん、お久し振りです。
    充実の日々を送られているようで何よりですね。

    大誓堂参加の願いが叶って本当に良かったですね。
    何かある度に何度も何度も上京されていた真心と真剣へのご褒美ですね。

    ところで大誓堂は数か月前にも行くと言っていた気がするのですが、もしかすると2回目ですか?

  3. 福島の壮年 より:

    1日5千遍の唱題を1年間ですか。
    そのペースが定着してきたと。
    すごいですね。
    私も平均で、1日に1時間半を超える唱題を1年間
    行ないましたが、自分の余暇が一切なく、
    平日は、テレビを見る時間さえ惜しくて、
    余裕がなくしましたからねえ・・・。

    自分の命の中に「定着できていない」証左ですよね。
    見習わなければいけませんね。
    ありがとうございました。

  4. Leo2014 より:

    福島の壮年さん、掲示板のほうで返信頂いていたのに、なかなか返事書けずにいました。

    唱題は私の場合は自営業ということもあり、ある程度自由がきくというやり易さがあるのかもしれません。

    仕事をフル回転でやり切りながら、90分の題目となると、何年も持続するのは、そうとうな覚悟のいる戦いなのでしょう。

    題目をそれだけ上げなくても、順調で充実しているなら、宜しいのではないでしょうか。
    あくまで自身の自覚と意志ですし、時間にこだわっていさせすれば良いというほど、信心は単純ではないですね。

    その上で、これは持論ですが、24時間ある中で90分程度は、御本尊に向かうのは、特別なことではないと思うのです。
    自己の目標をやり切れば、時間も最高に価値的に使えます。
    上げたら上げた分のメリット(功徳)があるので、「もうどうにもとまらない♪」です(笑)