不器用の一心

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iPS細胞の開発により山中伸弥京都大学教授は本年、ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
ノーベル賞とまではいかなくても、一人前の研究者になるためには、優秀である必要があると考えられがちですが、実は適度に頭が悪い部分もないと一人前にはなれないそうです。

なぜなら自分が志した研究で芽が出るかどうかは、やってみなければ分かりません。
しかも3~5年くらいで結果が出ればまだしも、ですが、実際は20年30年かけて研究し続けて、やっと満足できる成果が得られる場合が多いのです。
何十年やっても1つの大きな成果も出ないことだってあります。

そういう1つの研究の道に歩み出す時、目先が利【き】く頭が良い人は、
「こんな割に合わない研究なんて、やってられない」
と言って始める前から諦めて、別の道に進むでしょう。

これに対し、先が見えない程度に頭が悪い人は、ともかく研究者の道を歩み始め、ほんのわずかな成功を目指していくのです。

このことは意外と万般に通じることかもしれません。
どんな分野であれ、真の成功者となるような人は、人が逃げ出したがるような場所で、不屈の信念で仕事に打ち込み続ける「愚直」の人です。
逆に、要領ばかりを優先し、うまく立ち回り続けるような「要領」の人は、一時は良いようであっても時とともに、落ちぶれ果てていくものです。
なぜなら、「要領」の人は自己を磨くことをしませんから、内面に何も形成されていないからです。

ここまで書いてきて、聖教新聞の「名字の言」を思い出したので、以下に紹介します。

「当代随一」と仰がれる宮大工【みやだいく】の棟梁【とうりょう】が、弟子を取る際、基準を定めている。
それは、不器用なこと。
なぜか。
器用な人は、ある段階までは早く上達する。
だから、仕事を甘くみて、楽をすることを覚えてしまう。
結局、成長の“伸びしろ”が小さいという。
「千年の大建築」を手掛ける宮大工の世界では、要領や小手先など通じない。
遅くても、一つ一つ階段を上らなければ、大きな仕事を成すことはできない。
「不器用の一心に勝る名人はない」と(小川三夫著『棟梁』)

釈尊の弟子である須梨槃特【すりはんどく】は、自分の名前すら忘れてしまうほど、物覚えが悪かった。
周囲は軽蔑した。
だが、師の釈尊だけは見捨てなかった。
その心を受け止め、修利槃特は師匠の言う通りに修行し、「普明如来【ふみょうにょらい】」の記別を受ける。

一見、不遇なように見えて、実は最高に価値ある、幸福な人生を輝かせた。
「仏法の世界は、真面目に、地道に、誠実に戦い抜いた人が、必ず勝つ」と池田名誉会長。
逆に、いかに才にたけていても、苦労や下積みのない人生は、もろい。
落とし穴につまずきやすいものだ。
無名でいい。
特別な才能など、必要ではない。
ただ真っすぐに、信心を実践し抜いた人に、“人生勝利の春”が訪れることを忘れまい。

創価学会80年余の歴史は、無名・無冠の庶民の王者たちの、愚直なまでの信心の激闘に次ぐ大激闘によって築かれたのです。

それをゆめゆめ忘れずに、私も次の戦いに向けて再スタートを切っていきます。

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