テロとの対話

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10日昼過ぎアフリカ・ナイジェリアのある市場で、10歳位の少女による自爆テロが起き、20人以上が死亡しました。
その少女には爆弾が巻き付けられており、遠隔操作で爆破されたようです。
少女自身は自分の体に何が巻き付けられているかは知らなかったのではないかとのことです。

→ヤフー映像ニュース

悲惨にもかねてから女性の自爆テロは時々、耳にしていましたが、子供にまで及んでしまったということで、胸がえぐられるような思いです。
なぜ未来ある子供までを、テロに利用しなければならないのか。
テロリストの卑劣な行為は、絶対に許されるものではありません。

テロリズムの目的は、暴力により敵対者に恐怖を与えることが目的だそうです。
よく「テロに屈してはならない」という言葉も聞きます。

イスラム国の台頭や、フランスでの銃乱射・立てこもり事件など、テロが頻発しつつある世界で、幸いにも日本は平穏を保っています。

もちろん暴力に屈してはなりません、断固たる強い態度でテロ勢力へ対峙することが必要です。
暴力という手段を取ること自体、ましてや子供を自爆に使うという卑劣極まりない行為を、絶対に防がなくてはならない。

その上で、テロを用いる側にも、何がしかの言い分があるはずです。
その背景には大国に対する恨みがあるのかもしれませんし、生命論で言えば地獄界に捉われてしまっているのでしょう。
もしかすると大国の過去の軍事行動等により、身内を殺され国を蹂躙【じゅうりん】されたとの、強い憎しみを持った人たちかもしれません。
対話を放棄し暴力に訴えている者に対して、対話のテーブルに着くことを勧めること自体無理があるかもしれません。

私はこの分野の専門家でも何でもありませんが、こうした難しい問題にも関わらず、「万難を排して双方が、対話のテーブルに着く」ことを主張し願わずにいられない。
対話に臨んで来た、テロの指導者や交渉者を逮捕・拘束等せずに、双方が身の安全と元来た所へ無事に戻れることを保障して、対話・交渉することを第一目的にして、対話のチャンネルを確保するのです。
例えば中立的立場の第三国に対話の場を置いても良いでしょう。

テロリストたちが用いる暴力的手段は絶対悪です。
しかしそのテロリストたちを根絶やしにするまで、暴力にはそれを上回る力で応ずるしか、本当に方法は無いのでしょうか。
大国や先進諸国の論理の犠牲になった人々、或いはそれらの恩恵に預かれなかった人々の、苦しみと恨みなどの感情が背景に多く存在することがテロの温床になっているのかもしれません。

であれば、大国や先進諸国が、そうした人々の意見に聞く耳を多く持ち、世界や自分たちの国の舵取【かじと】りに活かしていく姿勢を持つことが、テロを縮小していく智慧だと思うのです。

もう少し待ちますと先生のSGI提言が発表になります。
今年はこうした問題などに対して、どのような提言が為されているかが今から楽しみであります。

 

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コメント

  1. 虎キチ より:

    レオさん 本年もよろしくお願いいたします

    一部報道による「少女による自爆テロ」なる表現は不適切ですよね 悲惨極まりない事件です

    ところで「テロとの対話」ですが難問中の難問ですね
    池田SGI会長にして『情緒的に武力行使を難じ、対話の必要性を説くだけでは、すさまじいまでの憎しみ合いの深淵の前で立ちすくみ、暴力の巨大な奔流に飲み込まれていってしまいかねません。』と憂いておられます

    ネット上においてでさえ、問答無用の罵詈雑言に対して、立ち入らせない防衛のすべはあっても、対話が成り立った例は知りません

    問答無用のテロにどう立ち向かうかは『ノーベル平和賞の受賞者の間でさえ見解が分かれることが象徴しているように、容易ならざる困難さが横たわっています。』

    テロにどう立ち向かうか、でさえ見解が分かれるくらいで、「テロとの対話」はもう至難中の至難ではないかと思えます。

  2. Leo2014 より:

    虎キチさん、今年も宜しくお願いします。
    その先生の提言の文章をよく見つけ出しましたね、まずそこに驚いてしまいました。

    対話の必要性を説くだけでは不十分との見方ですね。
    さらにノーベル賞受賞者の間でも意見が分かれているのですね。
    人類を代表する英知が、困惑して手をこまねいてしまっているのですか。

    テロリストといえども同じ人間ではないかと私は思います。
    十界を具え、十界互具により仏界を開く可能性を有するという意味では、私たちと何ら異なる存在ではありません。
    あたかもガン細胞のように根絶することだけが、唯一正しい方法なのでしょうか。

    彼らが重罪殺人者であり危険人物であることに、大いに警戒し人命を守る対策を講ずるべきことにもちろん異論はありません。
    ただしテロが起こってしまってから、治安部隊を投入し鎮圧を図るというだけでは、後手後手の方法に過ぎず智慧が足りないと思うのです。

    何かテロを(発生件数を)縮小し未然に防ぐ手立ては、本当に無いのでしょうかね。
    インターネットにしてもこれだけ進歩した時代なのですから、ネット上で話し合いのチャンネルを持つことも可能なはずと思うのですが。

    いたずらに双方の猜疑心・不信感を煽【あお】るのではなく、さらに憎しみの負の連鎖を断ち切るためには、やはり人間に残された「対話」という、ある意味平和構築のための最強の武器を用いることが必要だと思うのです。

    いかなる主張・思惑があろうとも、人の命を道具にしその「殺」のうえに己が主張を通そうとする心は、元品の無明の心であり魔に魅入られた心です。
    一方、テロと戦う側もテロと断固戦う姿勢を強調する余り、未然に防ぐ努力を――その1つの有効な方法が対話であるなら対話の努力を――放棄してはならないと思います。

    それは決してテロに屈したのではない、人の命を守ることこそ何より優先すべきことなのです。
    テロを少なくさせる具体的努力も研究も、まだまだ少ないように思うのです。
    長文失礼しました。

  3. 福島の壮年 より:

    お2人で話題にされているのは、

    第27回「SGIの日」記念提言『 「人間主義―地球文明の夜明け』

    ですね。
    その中に、こうありました。
    ——————————————-

    〝報復の」連鎖″を断ち切る困難さ

     そこに現代という時代を包み込む闇の深さがある。
    その漆黒の闇を透かして暁を望むには、よほどの精神力を
    要するはずです。

     〝報復は報復を呼ぶ″と、よく言われるように、報復が
    決して一回限りで終わらないということは、おびただしい血を
    もって購(あがな)われてきた、人類の業ともいうべき経験則
    です。

     しかし、その経験則の超克ということは、古今東西、
    「モンテ・クリスト伯」や「忠臣蔵」などの〝復讐譚(ふくしゅうたん)″
    (仇討ち物語)の根強い人気が示しているように、傍観者の流儀と
    決別して当事者意識に徹してみれば、いかに重い課題となって
    迫ってくるか。軽々に口にすれば、いっこうに人々の心に届かない
    スローガン、空語に化してしまうか――
    課せられた宿題は、あまりにも重いといわざるを得ない。

    ——————————————-

    過日、フランスで起きたテロに対しては、報復の動きも出ています。
    http://mainichi.jp/select/news/20150114k0000m030054000c.html
    『毎日新聞/仏連続テロ:イスラム教嫌悪拡大…モスク攻撃や脅迫』

    さらには、フランス政府の動き。
    宣戦布告とも言える宣言が出されています。
    http://mainichi.jp/select/news/20150114k0000m030121000c.html
    『毎日新聞/仏首相:「テロとの戦争に入った」…治安強化を表明』

    「少女を脅して」という前提を除けば、「自爆テロ」に匹敵する行為を
    第2次世界大戦時の日本は行なっています。
    最近、映画などでも題材として取り上げられていますが、当時の
    アメリカ軍を震撼させた「特攻隊」ですね。
    独身の若者を中心に構成された「軍機による自爆テロ」です。
    僅か、70年前のことです。

    現在のテロリストを野蛮だとか何だとか言っていられません。
    どの国も、どの民族も、どのような組織体であれ、暴力的手段をも
    厭わずに自らの理想(利益)を実現しようとすれば、同様の行為を
    正当化してしまうことになるのは、まさに、先生が仰られたるように、
    全人類に「経験則として」刻印された「業」そのものです。
    現在の欧州先進諸国も、かつての大航海時代には、「植民地化」
    政策の下、原住民を大量虐殺し、また差別・虐待し続けてきました。
    そういう折々に利用されたのが、随行した宣教師たちによる洗脳
    です。

    未だかつて、人類に「真の平和と安穏」が成立した時代や地域は
    ありません。
    たとえば、日本における江戸中期のように「比較的安定した社会」
    は存在しましたが、あくまでも「相対的」なものですね。

    人類に根付いた「生き残るため」の「根源の業」を断ち切るという
    のは、難事中の難事でしょう。
    まさにそれに挑み、勝ち越えることを説いたのが、釈尊であり、
    日蓮大聖人であり、創価三代の会長に他ならない。
    ならば、私たちは、どうあらねばならないのか。
    真価が問われる時代になりました。

  4. 虎キチ より:

    レオさんこんばんは
    福島の壮年さん はじめまして

    どうも私はテロとテロリストを混同して書いておりましたね
    SGI提言に『断固たる対決の姿勢こそ、テロ根絶の大前提』とありますが、
    『「ビンラディンを捕まえればよいという考えは的外れだ。捕まえて最も深い洞窟に埋めるべきなのは、ビンラディンという人間ではなく、彼が実行した考え方なのだ」と述べました。まったく同感です。』
    テロは『「人間不在」という現代の悪霊』でありガン細胞のように根絶の対象なのでしょう

    テロを(発生件数を)縮小し未然に防ぐ手立てとして、池田SGI会長は「人権」「貧困」「軍縮」の三つから予防的アプローチを具体的に提案されておりますね

    私たちが今からでもできることは、『傍観者の流儀と決別して当事者意識に徹してみ』ることでしょうか(無論、簡単な事ではありませんが)
    そして「対話」という最強の武器を用いることなのでしょうね
    それは誰がではなく、いつか、でもなく まさに「私たちは、どうあらねばならないのか。」が今問われる時なのでしょうね

  5. 福島の壮年 より:

    虎キチさん、ご挨拶が後先になってしまいました。
    申し訳ありません。
    はじめまして。
    今後ともよろしくお願いいたします。

    虎キチさんがご提示のところ。
    『テロを(発生件数を)縮小し未然に防ぐ手立てとして、
    池田SGI会長は「人権」「貧困」「軍縮」の三つから
    予防的アプローチを具体的に提案されておりますね』

    そうですそうです。
    そここそが、先生のご提言の「肝」ですよね。

    『私たちが今からでもできることは、
    『傍観者の流儀と決別して当事者意識に徹してみ』る
    ことでしょうか』

    今は、リアルタイムで、戦争やテロの様子がテレビや
    ネット配信の映像で観ることができます。
    そして、それを繰り返し観ることも可能です。
    これは、現実なのか、それとも映画やゲームなどの
    創作なのか・・・目を疑う出来事が頻繁に起きています。

    あのイラク戦争の折、あたかもリアルな戦闘ゲームでも
    映し出されているかのように、空爆などの様子が世界に
    配信され、誰もが目にしていました。

    ビンラディン暗殺の様子を映像で確認する
    オバマ大統領の様子も、その映像の図解・解説付きで
    配信されました。

    アメリカの3.11テロで、乗っ取られた航空機が、
    超高層ビルに突き刺さる様子や、ビルが崩壊していく
    様子も、繰り返し、詳細に配信されました。

    何度も何度も、次々に、そういう残酷極まりない現実の
    シーンが映像化され目にすることが常態化していくと、
    何か、リアルとバーチャルの境界が認識できなくなり、
    感覚が麻痺してしまわないか、それが心配です。

    人間の「業」というものを見つめ、仏法と言う羅針盤で
    その本質を捉え、全人類一人ひとりの「人間革命」という
    確固たる平和社会実現への方途と、その道筋をしっかりと
    訴えていく。
    虎キチさんが仰るように、あくまでも「対話」で。

    それが今ほど必要な時はないなと、そう感じます。

  6. 福島の壮年 より:

    先の私のコメント内で、

    『アメリカの3.11テロで』の記述は、
    『アメリカの9.11テロで』と訂正いたします。

    東日本大震災の日付:3.11 と混同してしまいました。
    お詫びし、訂正いたします。

  7. Leo2014 より:

    虎キチさん、紹介頂いた、葬り去るべきはビンラディンではなく、彼が実行した考えこそ洞窟に埋めるべきとの言葉は、まったくその通りで言い得て妙ですね。
    ブラウン管を通して見、胸を痛めるだけの、単なる遠い対岸の出来事であっては、無責任な傍観者に過ぎないのですね。
    私も第27回の提言がネット上にあったので、再読し始めました。
    福島の壮年さんと、虎キチさんの貴重な書き込みにより、一気に議論が厚みを増しました。
    感謝致します。

    「報復の連鎖」を断ち切る困難さから、当事者から見れば、軽々に対話を勧めたとしたら、いっこうに人々の心に届かない空語となってしまう恐れが常にあるのですね。
    人類が持つ「根源の業」と表現されていますが、戦時中の特攻隊、それよりさらに昔の欧米・日本等の先進諸国の植民地化・帝国主義などは、真に「業」としか表現しようがないです。
    それはあらゆる国家、民族も組織体も、暴力的手段を用いての利益追求に走った場合、テロを野蛮と他人事のように言うことはできなくなるとのご指摘、全くその通りだと思います。

    特に20世紀は「メガデス」という言葉にも見られますが、余りにも人が人を殺し過ぎました。
    それは国家と国家、或いはイデオロギー間の、世界中を巻き込む大きな戦争が、頻発した世紀でした。
    それが核兵器を主とした軍拡競争を背景に東西両陣営の冷戦に突入し、ベトナムや朝鮮での泥沼の代理戦争や、世界の紛争地帯での局地戦争を頻発【ひんぱつ】させました。
    その東西を隔てた鉄のカーテンも、ベルリンの壁崩壊やソ連のペレストロイカ等を経て、やがて取り去られ、冷戦が終結しグローバリゼーションの時代となりました。

    有史以来からの戦争の歴史は、多くは国家間、民族間の戦争でしたが、それが打って変わって現代は世界秩序とそれを脅かすテロとの争いに様変わりしました。
    依然として抜き難い人間の業としての毒は、形を変え、世界の人々に脅威を与えています。

  8. Leo2014 より:

    (続きです)

    だからこそ、仏法三千年の結晶とも言うべき創価の師弟の仏法が広宣流布すべき時が来ているのですね。
    上行菩薩や迦葉尊者が舞いを舞いながら踊りながら、歓喜の姿で涌出したように、大悪が起きた時こそ大善の来たるべき瑞相と、御書にありますね。

    聖教新聞1月15日付3面に、ブリティッシュ・コロンビア大学のチェン・ジンファ教授へのインタビューとして、大要こうありました。
    今、世界で起こる戦争や抗争の原因は宗教にあると言われているそうです。
    特に、最大の課題は、キリスト教とイスラム教をいかに融和させるかです。
    その橋渡し役を担うのが仏教であると期待されているというのです。
    歴史上、他の宗教と異なり、仏教は平和的にものごとを解決する智慧と伝統を育んできました。
    慈悲から発する思いやりと理解は、相手に心から耳を傾け学ぶ、開かれた対話を促します。
    仏教の相手を心から理解しようとする「学ぶ宗教」、さらには「対話の宗教」という特質は、宗教間の対話の橋渡しとしての役割を深めていくのです。
    現代において、その模範を示し続けてきたのがSGI会長です。そこに、会長の功績が高く評価される理由があるのです。

    我々SGI会員1人1人が世界を見据えて足元から行動を起こすこと、身近な1人を大事にすることが、遠回りのように見えて、実は最も堅実な平和構築の方法なのですね。
    その中で、創価の仏法を根幹に世界で活躍し、文字通り宗教間の橋渡し役となっていくような、人材・リーダーも今後もさらに輩出していかねばならないのです。

    (平27.1.17 一部加筆)