諸天に守られた!

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昨年の9月下旬、北海道内にある厚田村の戸田記念墓地公園に行きました。高速道路使用の有無にもよりますが、車で片道100km約2時間の行程となります。自分と身内の計3人が乗り、購入後間もない中古車スバル・レガシィで、快適な墓参りへの道のはずでした。

 

車が古過ぎて心配なので、高速は使わないで行こうとの、妹の要望を聞いて一般道を走っていました。実はこの車は内・外装が非常にきれいで良い状態でしたが、走行距離15万kmを超えていたのです。2500ccエンジンということで、環境重視の時代にもそぐわない車でしたが、一目見て気に入ってしまい購入したのでした。

 

スバル・レガシィ(冬に撮影)

 

厚田からまだ遠い札幌市内の、高速の高架下を沿うように走る一般道を運転していた時です。急に雨が降り出し、それが間もなく豪雨に変わったのです。後で思い返してみると、ゲリラ豪雨とか帯状降水帯と呼ばれる豪雨だったのだと思います。時間とともに雨はますます勢いを増し、バケツどころか風呂釜をひっくり返した以上の物凄い雨です。

 

スピードを徐行からさらに減速します。もちろんバックミラーから後続車の様子も確認しながらです。ワイパーをフル・パワーで動かしても、すぐ前の車の尾灯も見失うほどです。「これは、やばいぞ!」と心臓をドキドキさせながら、脇道に入って停車させることも考えました。しかし、この状況での大きなハンドル操作は、却って危険と判断し、徐行しながら雨が弱まるのを待ちました。

 

その時です。豪雨の雨音にかき消されるように、「ガタンッ」と車体の後ろから音と振動が伝わりました。追突されたのだろうかとも思いましたが、そうではないようでした。確認のしようがなく、そのまましばらく徐行運転を続けると、豪雨は収まっていきました。

 

豪雨が去った後、安全な所に停車して車の様子を見てみると、左後ろの車高が5~7cmほど下がっています。ボディが左後ろ側だけ明らかに落ちているのです。ですが、タイヤには接触してはいません。この症状には、心当たりがありました。実はつい数か月前にも、その時は右後ろ側が5~7cmほど車高が下がったことがあり、修理したことがあったのです。

 

サスペンションのバネを支える部分の溶接部が、錆びによって取れてしまったことが原因でした。車体を支えるサスペンションの故障により、ボディが下がってしまったのです。もし、高速で走行時にこの故障が起きた場合、人命に及ぶような大事故になったかもしれません。

 

この時まず思いました。「なんて、ついてないんだろう。生まれて初めてのような、凄い豪雨に遭ったばかりか、よりによってその際中に、大事故にも直結するような故障が起きるとは」 余りに不運が重なったために、「これは、いったいどういうことなんだろう」との強い疑問です。しかし、次の瞬間、信心の眼で見た時に気付いたのです。疑問は瞬時に、最高の歓喜に変わりました。「諸天に守られた!」と。

 

もし、高速道路を使っていたり、あるいは豪雨がなく快調に走っていたら、その時に同じ故障が起きていたらどうなっていたか。誠に不思議なことですが、故障による大事故を回避させるために、わざわざ豪雨が通過したのではないか、としか考えられないのです。豪雨の時間はものの10分もなかったのですから、偶然としては到底考えられない位、タイミングが一致しているのです。

 

一見すると、「まさかそんなことがあるはずがない」と笑われるような話です。しかし、学会員として最高の御本尊を持ち、日々、一生懸命題目を唱え実践している自分には、「守られた!」としか言いようがないです。

 

それ以前に、この体験から導けるもう一つの教訓は、やはり中古車は走行距離の短い車を買うべきということです。サスペンションはググってみると、耐用年数が約10年、または5~8万kmだそうです。海岸に近い街の走行では、さらに腐食は早まるでしょう。今まで6~7台も車を替えてきましたが、こんな故障は初めてでした。

 

後の両側が相次いでサスペンション故障が起きるなら、当然、フロント(前)の左右も故障の可能性がある訳です。しかし、4本のサスペンションを全て修理する予算はとてもありません。その他、購入してすぐにABSユニットの故障で、30万円の見積りで驚いたこともありましたが、その時は7万円ほどの出費で何とか済みました。

 

自分には分に過ぎた車だったのですが、色々なことを総合的に考えて、何より安全性に難ありという理由と自身の事情もあって、この車を手放したのが去年のちょうど11月頃でした。それから約1年になります。車のない生活は当初、寂しかったですが、もうだいぶ慣れました。往復10kmの地元の会館へも毎回バスで行っており、もうバスも慣れたものです。

 

20歳位から今の60歳まで約40年間、入院した1年を除き、ずっと車のない時期はありませんでした。食料買い出しや大形の買い物をした時など、車がないと不便ではあります。しかし、大抵はバスと自転車と大きなリュックがあれば足ります。それらより、何より困るのは広布の戦いにおいて、近場を周る時や遠方に交流する時など、車がないと不便です。部員さんや友人を連れだしたり、送迎したりもできません。

 

未だ60歳と完全に車を手放すのは早いのもあります。近いうちに今度は、格好よりも安全性や性能面で良い車を、持てるよう祈りつつ一層、仕事にも頑張ろうと決意しています。とにかく、車は替えることができますが、命は替えはききません。大事故になったかもしれない事態から守られたことを、御本尊と学会に深く感謝し、新たな一念で広布の使命を果たしぬいていきます。
(長文になり申し訳ありません)

 

 

 

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