補足 -瑞相御書

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2月末日に『瑞相御書』について書込みしました。
日蓮大聖人御書講義録第23巻に『瑞相御書』についての講義が載っており、その中から特に印象に残った部分を紹介します。

瑞相御書 の記事

【以下は、御書講義録第23巻からの引用】
だが、ここに述べられている正報と依報の関係は、更に深く微妙である。
すなわち正報の心の中の変動が、依報の変異をもたらすという原理である。
ここでは依報は正報を映す鏡のようなものとして把えている。
人の心の中の変動は、外から容易に見ることができない。
個人の心の表面的・日常的な動きは、その表情の変化によって知ることができるが、社会全体の人々の心に起こった深層の激変は、顔などの表情を通じては把握できない。
その巨大な深部の変動は、依報の鏡に映り、すなわち天変地夭として初めて知ることができるというのである。

この生命の深層の心理は、凡智をもって理解することは難しい。
ただ、仏法の法理と、透徹した仏の英知の直観力によってのみ、その実態を把握できるものなのであろう。
「衆生の五根やぶれんとせば四方中央をどろうべし・ されば国土やぶれんと・するしるしには・まづ山くづれ草木かれ江河つくるしるしあり、人の眼耳等驚そうすれば天変あり、人の心をうごかせば地動す」と仰せられているのが、これである。

(中略)
大地の振動とは、人々の心に動執生疑を起こし、既成の価値観が崩壊し、正法にめざめていく姿を象徴したものと考えることができる。

(中略)
この前の「人の悦び多多なれば天に吉瑞をあらはし地に帝釈の動あり、人の悪心盛なれば天に凶変地に凶夭出来す、瞋恚の大小に随いて天変の大小あり」の文を受けて、現実の日本の様相を述べられているのである。
もとより、それが”正嘉・文永の大地震・大転変”の原因をなしていることを指摘されるためであることは、文の流れからいって当然である。

悪心にせよ善心にせよ、その心の激しさ、強さも大小の判定の大切な基準であるが、より重要な問題は、対象にある。
いま、大聖人が”大悪心”といわれているのは、全民衆を救済しようとして、ただその広大な慈悲から起ちあがられた大聖人に対して、人々は憎悪と憤りをもって応えるのみであった。
ゆえに、これは、大悪心という以外にないのである。

いわゆる大善に対して、大善を憎むがゆえに、それは大悪となるのである。
もし小善が対象であれば、憎悪、瞋恚の心がいかに激しくとも、それは小悪でしかない。
また、もし悪に対する憎悪・瞋恚は、そのためにとる手段・方法は別として、それ自体は善にさえなるのである。

末法御本仏、日蓮大聖人に対し、当時の日本民衆は、幕府権力の中枢から一般民衆にいたるまで、程度の差は万別であろうが、みな、憎悪と瞋恚の心を抱いたのである。
自分たちを救ってくれるべき、主・師・親の三徳を具備した人を憎んだのであるから、それは“大悪心”である。
「此の悪心の根本は日蓮によりて起れるところなり」の一文に、民衆救済のために起たれた、大聖人の大確信が秘められていることを知らねばならない。

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