『青春対話』の「いい大学へ行って、どうなるの」から抜粋します。
(ハードカバー版『青春対話』p.67~)
「いい大学へ行って、どうなるの」
木村 今の日本の価値観は「いい学校」に行って、「いい会社」に行くことがすべてというか、「人間として」という観点は、ほとんどないように思います。
井桁 「エコノミック・アニマル」とか、「カネ、カネ、カネの日本」とも言われていますね。
名誉会長 しかし、それでは世界に通用しない。軽蔑されるだけです。
有名な話だが、こんな話がある。ある日本のビジネスマンが南太平洋の島に行った。すると少年たちが、砂浜でのんびり寝ころがっていた。
ビジネスマンは「昼間から、ぶらぶらしていないで、早く学校へ行って勉強しなさい」と言った。
すると少年たちは「何のために学校へ行かないといけないの?」と。
「学校へ行って、しっかり勉強して、いい成績をとるんだ」と言うと、「いい成績をとると、どうなるの?」と少年たちは聞く。
「成績が良ければ、いい大学に入れるじゃないか」「いい大学へ行って、どうなるの?」「いい大学を卒業したら、いい会社に入れるし、いい役所にも入れる。給料も高くなるし、いい結婚もできるかもしれない」
「それで?」「いいうちにも住めるし、楽しく暮らせる」
「それから?」「定年まで、しっかり働いて、子どもも、いい学校に入れるんだ」
「それから?」「それからは、もうどこかの暖かい所へ行って、毎日のんびり暮らすのさ」
すると少年たちは、「そんなことなら、そんな先まで待たなくても、今、ぼくたちがやっていることだ」と(笑い)。
要するに、人生の目的が「楽に暮らす」ということなら、別に学歴もいらないし、あくせく勉強する必要ないじゃないかというのです。
何のための勉強
名誉会長 「何のために学ぶのか」「何のために生きるのか」「何のための、お金なのか」。いい学校へ、いい会社へと、先へ先へ追いかけていっても、それだけでは「幸福」はない。ただ安楽に暮らすためだけなら、必ずしもそんな苦労をする必要はない。
しかし本当は、勉強は、有名な大学に行くためにあるのではありません。自分自身の頭脳と心を耕すためにある。自分自身が豊かな人間になって、「生きた証」を、この世に刻みつけるためにある。自分でしかできない自分の使命を果たすのです。不幸な人のために働くのです。そのためには「力」がいる。「人格」がいる。だから「努力したほうが得だよ」というのです。
この説話は単なる笑い話で片付けられない、大事な意義があると思います。誰しも陥りやすいが、その実態は浅薄でしかない目的観が示されています。逆説的に、真の「人生の目的とは何か」を痛切に訴えかけています。今日、久しぶりに1人の同志の友人と種々語り合い、思い出した指針です。
『青春対話1と2』 『希望対話』 『希望の翼』の本は、仕事で関わった生徒と、何度繰り返し読み返したか分かりません。特に『青春対話は』ボロボロになる度に買い替えて、それこそ何度も何度も何度も何度も生徒さんと読んだものです。
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