疫病は愚癡より起こる

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新型コロナウイルスの感染拡大お見舞い申し上げます。行政などの先手を打った対応により職場・学校・市民生活への影響だけでなく、世界的ウイルス感染による株価下落等の経済への影響も大きくなっています。しかし、今が正念場です。この時期を乗り越えれば、暖かさへ天候が変わっていくにつれ次第にウイルス感染が弱まり、人々に免疫も備わり、やがて患者数も減少に転じ終息の方向が見えてくるでしょう。

大変な時だからこそ題目根本に、うろたえることなく、落ち着いて出来ることを全てやり切っていくことが大事です。それでは御書を拝読しましょう。少し長文になります。

曾谷殿御返事 p.1064-後ろから4行目

減劫の時は小の三災をこる、ゆはゆる飢渇(けかち)・疫病・合戦なり、飢渇(けかち)は大貪(だいとん)よりをこり・やくびやうは・ぐちよりをこり・合戦は瞋恚(しんに)よりをこる、今日本国の人人四十九億九万四千八百二十八人(億=十万のこと)の男女人人ことなれども同じく一(ひとつ)の三毒なり、所謂南無妙法蓮華経を境としてをこれる三毒なれば人ごとに釈迦・多宝・十方の諸仏を一時にの(罵)りせ(責)め流しうしなうなり、是れ即ち小の三災の序(ついで)なり。

しかるに日蓮が一るい(類)いかなる過去の宿じう(習)にや法華経の題目のだんな(檀那)となり給うらん、是をもつてをぼしめせ今梵天・帝釈・日月・四天・天照太神・八幡大菩薩・日本国の三千一百三十二社の大小のじんぎ(神祇)は過去の輪陀王(りんだおう)のごとし、白馬は日蓮なり・白鳥は我らが一門なり・白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、此の声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかり(光)をさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし。

開目抄上 p.201-9行目

妙楽云く「障り未だ除かざる者を怨(おん)と為し聞くことを喜ばざる者を嫉(しつ)と名く」等云云

 

山梨教学研修センター

特に1つ目の曾谷殿御返事では、三災七難のうち三災に当たる、飢渇(けかち)・疫病・合戦の原因について、仏法の生命論からご指南されています。すなわち「飢渇(けかち)は大貪(だいとん)よりをこり・やくびやうは・ぐちよりをこり・合戦は瞋恚(しんに)よりをこる」と仰せです。飢饉干ばつを起こすのは貪り(=むさぼり。欲望)の生命であり、伝染病は愚癡の生命から起こる。そして、戦争は苦しみに縛られたやり場のない瞋(いかり)の生命から起きると。

特に疫病(伝染病)は愚癡より起こると仰せなのはどういうことでしょうか。愚癡の意味を改めて調べてみると、次のような説明がありました。

→「愚癡」についての用語解説

ここには、「因果の道理をはじめ、仏法の教えを理解できないこと。(中略)無明と同一視される」とあります。次に2つ目の開目抄の御文について、次のようなご指導があります。

「開目抄」の「障り未だ除かざる者を怨と為し聞くことを喜ばざる者を嫉と名く」――(妙楽大師いわく)権教や迹門への執着をいまだ取り除かない者を「怨」とし、実教や本門の正しい教えを聞くことを喜ばない者を「嫉」と名づける。
(山梨教学研修センターでの初講義 1997年6月10日)


一般に「謗法」といえば学会や法華経に悪口を言うことと理解されます。しかし、この御文では、法華経以外の浅く劣った教えに執着する者(=怨)や、最高に正しい創価の妙法を喜んで聞けない者(=嫉)こそが、怨嫉(おんしつ)の者であると断じられています。妙法を聞けないこと、聞いて歓喜できないこと自体が、その消極的態度がすでに怨嫉であり謗法なのです。

白鳥を見た白馬がいななく声を聞いて輪陀王が生命力を増したように、私たち学会員の題目の音声を聞いてあらゆる諸天善神が威光勢力を増し、学会員は元より日本のみならず世界を護りに守るのです。何と心強いことでしょうか。強き祈りを根本に勇気ある対話と振る舞いで、「聞くことを喜ぶ人」を「大功徳を受ける人」を広げに広げてまいります。ただし、自粛期間は訪問等を控え、電話やSNS等を活用します。長文を最後まで読んで下さりありがとうございました。

 

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