法主詐称(1)

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御書に明確な万人に開かれた「信心の血脈」を日顕はないがしろにしたのみならず、権力欲に狂って相承を詐称した。
日顕が法主の座を乗っ取った1979年7月22日を、時系列で追ってみよう。

同日午前3時頃、「日達法主危篤」の急報が宗内を駆けめぐり、それを聞いた日顕も東京から富士宮へと向かった。
早朝5時5分日達法主は逝去、遺体は6時半過ぎに病院から大石寺の大奥対面所に戻った。
同じ頃、大石寺に着いた日顕は7時15分からの枕経を前に、大奥の西奥番室に立ち寄り、日達法主の娘婿で側近だった管野慈雲【すがのじうん】・遺族らと面談した。
その時の情景が詳しく描写されている(憂宗護法同盟発刊『法主詐称』から)。

日顕 あと(相承)のこと、君たち聞いてるか?
管野 いやぁ、それは、総監さん(=日顕)じゃないですぅ?
日顕 あっ、そうか・・・あぁ、そうだったな――。
日顕は考え込むように、ゆっくりうなずいたという。

相承のことは、遺族も知らない。日達法主の側近だった管野も、どうやら何も聞いていない。
つまり、日達法主は誰にも相承せずに逝去したと、日顕は確信した。
長年、法主の座をつけ狙ってきた日顕にとって、願ってもないチャンスが巡ってきたのだ。

枕経のあいだ日顕が考えていたことは、師の冥福などではなく、これから始まる大陰謀「猊座奪取【げいざだっしゅ】」のシナリオ作りに、日顕の頭はフル回転していたのだ。

(出典:民衆勝利の凱歌~創価の宗教改革/創価学会青年部編)

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