将棋
引き続き衆院選に関する、最後の私見となります。50年近い昔、中学時代に将棋部に入り、数カ月、勝ったり負けたりしながら楽しく指していました。ある日、部員Nと初めて指しましたが、有段者だったのでしょう、完敗したのです。ショックで私は、すぐに退部してしまったのです。
それから将棋をすることはなく、30歳代半ばの頃、思い立って、地元の将棋同好会に毎週土・日に通い始めました。高齢者から小学生までを相手に、何局も指しますが皆、強いのです。そのため最初、なんと18連敗することとなり、やっと1勝をした時は、本当に嬉しかった。
その直後に、インターネット認定問題に合格し、日本将棋連盟の初段免状を取得しました。それから4年かけてアマチュアですが五段まで合格しましたが、免状が36万円と余りに高額なので購入は無理でした。
いま何かとマスコミを賑わしている藤井聡太七冠の勝率は0.833と8割を優に超え驚異的な数字です。ちなみに前世代の第一人者・羽生善治九段は1995年に0.836をマークしましたが、生涯勝率は7割を切りました。しかし、勝ち越し数(勝ち数-負け数)で見ると、藤井七冠194に対して、羽生九段847と未だ大きな開きがあります。
ガス抜き
なぜ将棋の話をしたかというと、勝率8割超えというのはいかに凄いことかを示すためです。実は公明党(自・公政権)は選挙において、勝率約8割なのです。旧・民主党に政権交代した後に限ってみても、衆院選6回の内2009年と、今回のギリギリ持ちこたえたのをあえて負けに数えても、参院選2010年以降5戦無敗とすれば、9勝2敗で勝率0.818となり、連戦連勝が続いていたのです。
批判を覚悟で言えば、野党はこの12年間、万年野党だったため、国会で何を言っても、ほとんど法律として通すことはできなかった。その意味では、相当にストレスが溜まっている。今回は立憲等の野党にあえて、よい思いをさせることで、ガス抜きをさせてあげたと言うことができないでしょうか。
一方、これにより、傲(おご)りが兆(きざ)していた自民党にも、一定の危機感を持たせ、一方の野党にも改めて責任感を自覚させる、効果があったと思います。
先ほどの将棋の例でも、自分がもし高段者であるなら、相手への教育的意味で、決して手を抜く訳ではないが、時には勝ちを譲(ゆず)る配慮も必要でしょう。もし将棋同好会へ通い18連敗していた私が、それ以降も負け続けていたら、きっと将棋に取り組むことを諦めたかもしれません。
家庭における良き妻
公明党の存在は家庭で言えば本当にしっかりした「良き妻」であり、今回の問題では旦那が余りにだらしなかった。それで、妻も巻き添えを被ってしまったが、簡単に離婚する訳にもいかない。離婚(=連立の解消)はあくまで最終手段である、ということだと思います。
本当に責任を果たす党
政治とカネの問題が、世論を席巻した今回の選挙でしたが、ある意味、追及するだけして選挙に勝ったから、あとは終わりでは無責任です。旧・民主党時代の首相や幹事長による巨額の政治資金不記載があり、また、立憲とその他の野党も多額の政策活動費について、使い道を公開できていません。ですから、そもそも野党には自民党を追及する資格など無いのです。
この点、公明党は政策活動費を、今までに議員に1円も支給していません。要は、どの政党が、最後の最後まで徹底して、政治とカネの問題に責任をもって取り組み、二度と繰り返させない厳罰化・法整備等を、現実に行なっていくのか。野党にはそこまでやり抜くことはできず、結局は公明党が行うと思います。
公明党はその党名が示す通り、公明正大=清潔な政治・政界の浄化、を結党以来一貫して、最優先テーマとして取り組んできた政党です。戦後、何か一つの委員会を行なう度に、住民の血税を濫費(らんぴ)して宴会三昧に堕していた「宴会政治」を、粘り強く追及し改めさせていったのは公明党でした。
今回の自民党の政治資金の不記載問題も、元々、公明党主導で法制化してきた「政治資金規正法」により、違法な行為として表面化し、全国民的な議論の俎上(そじょう)に載ったのです。問題発覚後、いち早く、「連座制の導入」や「第三者委員会の設置」等を強力に推し進め、法整備を進めているのも公明党です。「政治は何を言ったかではない、何を現実にしたかである」と言われるように、最後まで責任を持って結果を出す政党を見極めねばならないのです。
民主党政権の悪夢
2009年政権交代した民主党政権では、できもしない公約を並べ、そのほとんどが実現しませんでした。高速道路無料化もしかり。最初はグアム移転を約束した米軍基地移転も、最低でも県外に変わり、それも果たせず鳩山政権は退陣しました。
民主党は他にも、「コンクリートから人へ」とのキャッチフレーズで、必要な防災対策にも手を抜きました。例えば、群馬県の八ッ場ダム(やんばだむ)は、7割がた工事が完了していたにも拘(かかわ)らず、工事がストップし、自公が政権を取り戻して完成にこぎ着けた。ダムがほぼ完成したところに台風で大雨が降ったが、水が蓄えられて水害を免(まぬか)れた。防災・減災は思いつきではなく、計画を立てて着実に進めることが重要だ。(※山口常任顧問の街頭演説から、公明新聞10月20日)
この八ッ場ダム完成によって、どれほどの住民の生命が救われたか。河川が氾濫し水没した家屋から、ヘリコプター等で高齢者を救助する映像は、誰しも見たことがあるでしょう。あのような事態を未然に防ぎ、どれほどの人命と、生活と財産が守られたか、計り知れません。
そして2011年3月11日の東日本大震災後に、福島原発事故の地元避難民を視察した菅直人首相が、体育館の片隅に、段ボールの仮住まいの前に立って待っていた住民に気づかず、通り過ぎて行ったのです。歩き去っていく菅首相に対して、そのご夫婦が怒りを露わにされました。こうした、「遅い、にぶい、心がない」と評された民主党政権の菅首相を、公明党の山口代表が烈火のごとく追及する動画も、YouTubeにあります。
毒を変じて薬となす
ここで御書を拝したい。
[本 文]
付法蔵の第十三、天台大師の高祖たる竜樹菩薩、妙法の妙の一字を釈して、「譬えば、大薬師の能く毒をもって薬となすがごとし」等云々。「毒」というは何物ぞ、我らが煩悩・業・苦の三道なり。「薬」とは何物ぞ、法身・般若・解脱なり。「能く毒をもって薬となす」とは何物ぞ、三道を変じて三徳となすのみ。(始聞仏乗義 新版1327㌻)
[先生の講義]
富木常忍に与えられた御消息「始聞仏乗義」で、大聖人は、変毒為薬の「毒」とは煩悩・業・苦の三道であり、「薬」とは法身・般若・解脱の三徳であるとされています。そして、妙法の力により三道の悪の因果を生きている生命も、その当体に三徳の善の功徳を現していけることが変毒為薬であると仰せです。
(中略)
牧口先生は、「いかなることがあっても、われわれはこれからのことを考えて生きていくことだ」と言われたうえで、変毒為薬について次のように語られています。「妙法の生活とは ”変毒為薬” である。社会で生活している以上、時には事故や災難、そして事業の失敗などにあう場合がある。(中略)だが、どんな場合でも妙法根本、信心根本として、御本尊を疑わず、信心に励めば、毒を変じて薬となしていけるのである。
たとえば、病気をした、これは罰だと悩んでいるだけでは解決しない。そこで ”この病気を、かならず変毒為薬してみせるぞ、健康という大福運、大功徳を開くのだ” と確信し、決意して信心をつづけていくことが大事だ。そのとき、病気が治るだけではなく、全快したときには、以前よりも健康になるのが、変毒為薬の妙法である」
変毒為薬の見事なる実証を示して、先生にご報告していきたいと決意しています。
(長文になり申し訳ありません)
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