本幹放映会から歓喜の前進!

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11月も終わり、間もなく師走です。いかがお過ごしですか。まず、少し近況を書かせて頂きます。本日、日曜日ということもあり、モバイルSTBを借りて我が自宅にて、本部幹部会の放映を行った所、自分と母親を含めて、合計7名で視聴できました。最高齢は92歳の壮年、70~80歳代の女性部が計3名、50~60歳の壮年3名という構成でした。青年部にも声を掛けましたが、会館に参加とのことで来れませんでした。

 

主に足が不自由で会館まで行くのが大変だとか、車がなく公共交通機関を利用する必要がある方々に、声をかけました。これだけの結集を図れたことで歓喜したこともあるのか、いつになく同中の内容も素晴らしく、随所で感動しました。参加者全員で決意し合い、新たな出発を期した集いとなったのではと思います。女性部の方々の参加には、私の母の協力や、地区の女性部長等の理解を得られたのも、大きかったと思います。

 

この放映会は午後からでしたが、実は青年教学試験1級の学習会を午前に2時間行ったのです。さらに、それら学習会と同中放映会のために、朝5時に起きて唱題3時間をあげきって臨みました。放映会終了後も、参加した壮年1名の方と20時頃まで種々懇談、終わった後は心地よい疲労感のなか、この記事を書いています。

 

青年教学試験1級は、試験当日まで残すところ2週間となり、追い込み段階に入りました。週1回から週2回ペースに増やし、最直前期はさらに増やす予定です。引き続き、無事故・健康第一で受験でき、信心(と試験)の合格を勝ちとり、お互いに、知勇兼備の広布と社会のリーダーに成長できるよう、祈り戦っていきます! ではここで、唱題行の絶大な福徳と意義について、先生のご指導を過去の記事から再掲します。

 

 

「5・3」記念中部の各賞合同授賞式 1986.5.7「広布と人生を語る」第8巻

「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」と仰せである。(中略)釈尊が仏に成るまでの無数の厳しき修行も、仏としての功徳も、すべて「妙法五字」すなわち三大秘法の「南無妙法蓮華経」に具足していると仰せである。

 

ゆえに私どもが御本尊を受持し、題目を唱えゆくとき、釈尊の、菩薩としてのたいへんな仏道修行、難行苦行も、仏にそなわる無量無辺の福徳と歓喜と幸福も、いっさいが自身のものとなり、今世において一生成仏していけるのである。これほど簡潔にしてすばらしき成仏への原理、ありがたき法理はない。

 

「教・弥(いよいよ)実なれば位・弥(いよいよ)下れり」とあるように、受持する法が偉大であればあるほど、機根が低く難行に耐えられない衆生をも広く救っていくことができる。大聖人の三大秘法の大法が無上道の法であるがゆえに、唱題行というもっとも簡単にして肝要の修行によって、一切衆生を成仏させゆく力があるのである。

 

この唱題行が、だれびとにも可能で、あまりにも簡単であるがゆえに、その深さがわからず、大聖人の仏法を軽蔑し、侮辱していく人がいる。また退転していく人がいる。まことにもったいないことであり、大いなる過ちである。どうかいっさいの悩みは、病気であれ、生活苦であれ、人間関係であれ、また苦悩の人々を社会の最前線で救っていく弘教のうえでの悩みであれ、すべてが御本尊への唱題の行によって歓喜の因となっていくことを確信していただきたい。

 

妙法の力用によって、苦しみ悩みを、永遠にわたる歓喜と幸福の原因としていけるのである。ここに信心によって得られた、本有常住の生命の位があり、大我に染めぬかれた実像の幸福があるのである。

→【過去記事】汲めども尽きぬ希望の源泉

 

 

 

信心の功徳の現れ方は「冥益」が主となります。今日植えた種が短期間に大きくは育たないように、それとは反対に、長い期間、地道に持続した信心の実践は、必ず大樹のような境涯となって現れます。最後は、「幸せで幸せで困る」という幸福境涯を、誰びとも必ず築くことができる、創価の御本尊なのです。

 

そして、真心込めた真剣な広布の行動は、やった分だけおまけもお釣りもなく、塵(ちり)も残さず、一切が自身と一家眷属の福徳に変わると学会指導にあります。この確信と誇りで、明年「世界青年学会・飛翔の年」へ、雄々しく助走を開始してまいります。

 

 

「いざ、前進!」~サン=ベルナール峠を越えるボナパルト/ジャック=ルイ・ダヴィッド画

 

 

 

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