折伏はなぜ難事なのか(2)

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誤解を恐れず、私の経験から言わせてもらえば、折伏は子育てと同じとも言えるかもしれない。
私は子どもは未だいないが、民間の教育機関で働いたので、長年、多くの子どもとは関わってきた。

新入会者は大聖人と学会の仏法については、未だほとんど何も知らない。
右を向いても左を向いても、何をどうしてよいか何も解からない状態である。
言ってみれば、信仰者としては生まれたての赤ん坊と同じなのだ。

その赤ん坊を、これから言わば親の如き忍耐と愛情で、育てていくのが折伏とも言える。
「親の心、子知らず」という場面も度々、出てこよう。
少し成長してきたら、生意気を言ってくることもあるだろう。
それは信仰者として「自立」しかけてきた兆しであるのかもしれない。

親の如き深い思いで見守りながら、多くの同志の方々にも育ててもらいながら、時にはその友人の信仰の危機に、命を縮める思いで心配をし、必死の叱咤・激励を送ることもある。
時には、人生の慶事に、その友人以上に喜びの涙を流すこともある。
こうして人を育て見守り祈った1つ1つが、最高の人生の財となっているのに気付くのである。

すこし感傷的になったかもしれないが、気を取り直して1つ目から見ていこう。

1.人の心を変える難しさ

この信心は「人を変えるにはまず自分が変われ」と教える。
1人の折伏を成就するには、大まかに言って3つの存在の認識を変える必要がある。

自己の認識(一念)
友人の認識
受け入れ側の組織の認識

これらを一切の障魔や惹起【じゃっき】してくる難と戦いながら、仕事・生活とも両立させながら、疲れた体に鞭打って、忙しい時間をやりくりして前進させて行かねばならない。

まず友人の心を変える。
「信心はよく解からないが、この紹介者は信頼できる」
との信頼関係が大事である。
そして御本尊の功徳を、自他の体験などを通して理解させることも、もちろん重要だ。

その友人に同居家族がいるなら、家族の承諾も必要となる。

同時に、受け入れ側の組織の承諾が必要である。
入会・御本尊授与には、友人との本部長面接なども行なうが、入会に当たって不安な点は、事前に地元の幹部たち、友人ともよく話し合って解決していく。

これらの認識を変える根底には、紹介者が信頼されていることが最重要となる。
友人との信頼関係、および地元組織における信頼である。

ともかく、人の心を変えることが第1の難事である。
その難事を突破するのが、自己の誓願の祈りに基づく不屈の行動である。
真剣な祈りと行動があるところ、周りの全てが諸天善神の働きとなって、折伏の成就に向かうのである。

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