折伏について

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最近の異常気象や自然災害の頻発を見て、これだけ日本の広布が進展し世界192か国にまで弘がったのに、なぜこうした災害などが続くのかと疑問を持ったので、自分として考察いたします。まず結論を申しますと、私も含めて出来上がった組織にいつしかあぐらをかいてしまい、(油断と安住となってしまい)、総体的に折伏の手が緩んでいないか、ということを思います。

 

草創期を人間革命などで見ますと、若き池田先生が指揮を執られた支部などは、数か月で二倍、三倍・・・と奇跡とも言える爆発的な拡大を成し遂げています。学会総体としてもこの頃は、1年ごとに物凄い世帯数の折伏を成し続け、75万世帯、300万世帯、800万世帯・・・と目標を期日よりも数カ月以上も早く達成してしまうことも多く、物凄い勢いが学会全体に漲っていました。

 

こうして創立から約80年で、日本では1000万人とも、世界では多く見積もっても1300万人に及ぶような会員数となりました。草創の方々の血のにじむような激闘に深く感謝し、その戦いに私たちも続くべきであることは言うまでもありません。

 

しかしこの例えば1500万人という会員数も、厳しい言い方をすれば一時的なもの、すなわち、これからの長い歴史の中における一瞬とも言える短時日のこととして、終わらせては絶対にならないのです。

 

なぜならば50年さらに100年過ぎただけで、自分を含め、いま生きている人は1人も居なくなります。つまり100年間で1300万人なら1300万人をもう一度一から折伏し直さないと、世帯数・会員数としては現状維持も出来ないのです。

 

もう少し視点を変えてみましょう。創価学会の出現とともに三代会長の死身弘法の戦いで、世界広布の大進展した時を迎えました。現代は、24時間ただの1秒の空白も無く、世界のいたる所で題目の音声が、途切れることなく響き続けています。未だかつてない世界広宣流布の、後世へのモデルともなる時代の到来です。

 

その上で、1300万人とメンバー数を見積もった場合に、現在の世界人口が72億人だそうですから、引き算をすると学会員で無い方は71億8700万人となります。学会員の比率は約 0.181%、学会員以外の方の比率は約 99.819%となります。ちょうど平均すると、世界で見れば約550人当たり1人だけが学会員であるということです。これは譬えてみれば、全校生徒550人の学校でたった1人だけが学会メンバーであるという比率を表しています。

 

もちろん元来、数値というものは人間的温もりや、幸・不幸からかけ離れ、独り歩きする傾向があります。数字だけで終始する机上の空理空論であったとすれば、まったく意味がありません。また、さらに別な観点として池田先生は、全ての学会員1人1人が身近の1000人の人を支え、希望を送っていけば、全世界の人々を守り幸福にしていけるとの趣旨のご指導もされています。

 

これを聞いた時に、私は目からうろこが落ちました。単なる数の論議でなく、私たち1人1人の自覚が大事なのだと思いました。その上で、折伏の手が緩んでしまっている、と杞憂かもしれませんが危惧するのです。

 

少なくとも私自身恥ずかしながらこの約25年間、1世帯もやり切っていない。ある大幹部の人にそのことを言うと、
「私も何十年もやっていないよ」
という人がいて、「ぇえ?」と思ったことがありました。

 

私の周りだけのことかもしれませんが、何か折伏が特別のことになってしまっている。弘教は確かに難事中の難事ですが、難しいから出来ません、では極論すれば念仏宗の邪義と余り変わりがないと言えそうです。

 

その難事である弘教を、同じやるなら楽しくやり切る力が、我々学会員には具わっているのです。なぜなら本化地涌の菩薩として、久遠より御本仏から直々に訓練された私たちなのですから。学会の三代会長に召し出だされ薫陶を受け続けている私たちですから、絶対に出来るはずなのです。

 

幹部としてどうしても人にやらせよう、人を動かそうとしがちな所があります。「折伏、いったい誰がやるの?」と人の顔色をうかがっても、まったく意味がありません。学会伝統のあり方は「率先垂範」です。「誰がやらなかったとしても、この自分がやってみせる!」との ”1人立つ” 精神こそが、三代会長そして草創の方々の魂だったのです。

 

長くなりましたが、ともかく、与えられた時間を無駄にすることなく、最高に価値的に使っていくことが第一歩だと思います。「今日はあの人に会おう、明日はあの人に・・」と、その奔走した道のりの長さと、流した労苦の汗に応じて、御本尊に感応することが出来、必ず弘教を成就することができるのです。

 

 

 


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