折伏が実ったとき(2)

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その時、勤めていた会社はチューリッヒや米国をはじめ、世界各地に基礎研究所などを持ち当時、社員は全世界で40万人、日本だけでも2万人いるという規模でした。
給与面や福利厚生でも、高専の同級生の中で第1位の好待遇でしたので、正に創価の御本尊の力に私自身も驚きと感動を禁じえませんでした。

しかし使わないホースは水を流しても、最初は泥が出てくるのと同じように、初心の功徳のあとは自信が持ってきた宿業がこれでもかと出て来たのです。
というのも、化他行にまい進したからこそであり、必ず「変毒為薬」「転重軽受」できるからこそ現れてきた宿業だったのです。

この時期、数年間を折伏に走り続けてきて、私はもうくたくたでした。
いま出来なければもう2度とできないだろうと思うくらい、自分らしくここまで必死の行動を積み重ねていました。

ある日、男子部長が隣の市に住む私の友人に会おうと言ってくれ、車で2人で帰宅を待っていました。
待てども待てども友人は残業のため帰ってきません。
深夜の0時過ぎまで待ったということが3度ほど続いたと思います。
「俺たち、まるで刑事の張り込みみたいだね」
と部長と笑いあったことも今では良き思い出です。

そうした執念の行動でやっと友人に会うことができ、支部拠点へ来る確約をとることができたのです。
その人こそ、しばらく前に私の拙い料理を食べに来た K君だったのです。

当日は、支部・地区の四者が入れ替わり立ち替わり来て激励してくれ、婦人部長の手作りの料理もごちそうになりながら対話、皆の真心に感動したK君は入会の意思を固めたのです。
あとは必要な手続き、面接等も終えて、その場でK君は入会しその日の内に御本尊ご安置も無事完了できたのです。

昔は入会三原則なども無く、事が決まると意外とスムーズに早く進みました。
こうしてその日はK君にとって第2の誕生日となり、多くの同志から祝福を受けたのでした。
私にとっても今世で初めての御本尊流布をすることができたのです。

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