念仏無間地獄(1)

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念仏無間地獄それは
「念仏者は間断なき地獄の苦しみに苛まれる」
との意味で、日蓮大聖人が鎌倉当時に流行していた邪宗教を破折なされた「四箇の格言」の1つである。

念仏無間地獄と聞くと、
「なぜ人の宗教を悪く言うのか」
「仏法を奉ずる者が、なぜ他派の悪口を言うのか。増上慢ではないのか」
と言う人が少なくない。
今風に言えば、「上から目線の物言い」との批判なのであろうが、そのように批判する本質は、
「世間への恐れと臆病」
であり、「動執生疑の第一歩」とも言えよう。

仏法は「人に対しては寛容」であっても、「法に対しては厳格」なのである。
なぜなら、信じる法=本尊が低劣で誤っていれば、それは即生活に顕れ、あらゆる不幸を招く根本原因となるからだ。
「苦を抜き楽を与える」慈悲の心、相手を思う一心から、厳しく破折しているのである。

真の仏法においては、例え念仏者やその他の邪教の人に対しても、命の奥底に仏界を具えていると見るゆえに、最高最大に相手を尊敬する。
ただし、真に相手の幸福を願うゆえに、また文底の法華経が唯一最高であると確信するゆえに、相手が邪教ゆえに不幸な人生を送らないよう、厳しく忠告し折伏するのである。

念仏宗の人も意外と、念仏宗とはどんな教えか、なぜ念仏を信ずべきでないかについては、余り知らない人が多い。
「先祖代々やって来たから」
「長男・長女だから受け継がなくてはならない」
と意味も解らず、何となくやっている。
法事は念仏で、結婚式は教会で、初もうでは神社でというように、外国人から見ると「あんた何宗なの?」と絶句されるような、無節操振りもある。

繰り返すが、
「宗教の善悪は、生活上に幸・不幸を厳然ともたらす」
ことについて、いかに無知であるか、現証の恐ろしさに気づかない人が多いのである。

以上のことからまず念仏宗を取り上げて、自己研さんの意味も込めて、破折を試みたい。
連載は4~5回位になる予定である。

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