強き境涯が本当の「随喜」ー10時間唱題 (33)(34)

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夢・目標の実現と、現実の課題の解決を目指して、さらなる唱題に挑戦しています。あれから1月9日、1月17日と、さらに2回の10時間唱題を完遂。昨年12月下旬からだけでも、計4回となりました。

 

 

「一身の安堵を思わば、まず四表の静謐を祈るべきものか」(立正安国論 新版44㌻)を実行に移したご祈念も、多く入れています。日本・世界に災害等が無いこと、平和であること。核兵器廃絶と不使用、軍縮の進展、等々。中東のガザ地区での戦闘に停戦合意が為されたことは、まずは良かった。それにしても、余りに多くの犠牲があったことは、胸が痛むばかりです。

 

この「人類の宿命」ともいうべき戦争の惨禍をなくし、災害等のない世界にしていくためにも、一見、遠回りのようでいて、実は最も確実な方法が、自己や縁する人々の境涯を変革しゆく「人間革命」です。人間革命と言っても、広宣流布と言っても、その運動の主たる方法は、言論戦であり対話に他なりません。

 

「たゆまぬ歩みおそろしカタツムリ」

 

という言葉がありますが、「持続の力」による歩みは、驚くべき積み重ねとして現れます。例えば、毎月20軒を周れば、1年間で240軒です。これを40年間続ければ(延べ)9,600軒となります。会いに行っても不在の所もありますから、このうち三分の一だけ会えたとすれば、40年で(延べ)3,200人に会って対話したことになります。

 

これと別な方法で考え直してみると、一日たった一人でも会って対話することを、一年続ければ365人、30年間で10,950人、40年間なら14,600人となります。一日一人との対話を持続するだけで、30年で優に1万人を超える人に会え、励ましを送ることができるのです。私たちの行動の一歩一歩は小さかったとしても、持続の力は凄いものがありますね。どれほどの福徳となるか計り知れません。

 

「信心は確信が大事」とのご指導をよく聞きます。いくらたくさん唱題しても不信であれば、功徳はほとんどありません。家庭訪問、個人指導も、どれだけ軒数・回数を重ねようとも、こちらの一念が弱ければ、新たな人材は輩出できないものです。まず自身が「断じて人材を輩出し、先生に勝利のご報告をする」と強く一念を定めることが大事です。そのうえで、訪問の仕方や、相手の興味・関心等に合わせた言葉のかけ方を工夫するなど、智慧を尽くすことが活きてくるのだと思います。

 

では次に、先生のご指導を拝しましょう。2022年10月に、新旧の『人間革命』全43冊を読了しましたが、今また『人間革命 第1巻』から再読を始めています。その他に、『法華経の智慧』と『御義口伝講義』なども、並行して再読を進めています。今回は『法華経の智慧』の随喜功徳品の先生の講義から抜粋します。

 

 

●法華経の智慧 普及版(下巻)55㌻、随喜功徳品(第18章)から

 

池田 「歓喜」と言っても、それだけが長続きするものではない。(中略)「花のいのちは、みじかくて、苦しきことのみ、多かりき」と言った女性作家がいたが、喜びは短く、苦しみは長いのが、人生の実相かもしれない。だからこそ「煩悩即菩提」の妙法が、ありがたいのです。

 

苦しみは、苦しみにつけ題目を唱える、悲しみは、悲しみのまま御本尊にぶつける。うれしきは、うれしさを開いて、感謝の唱題にする。悩みは悩みとして、大きく見おろしながら、前へ前へと行くのです。御本尊を拝するということは、全宇宙を見わたし、見おろしていくようなものです。自分自身の苦しんでいる生命をも見おろしていける自分になっていく。

 

「随喜」と言っても、悩みがなくなるのではない。悩みがあるから題目が唱えられる。題目を唱えるから、生命力がわく。苦しみがあるから喜びがある。“幸せだけの幸せ” はありえない。“喜びだけの喜び” はない。「仏法は勝負」なのだから、一生涯、戦いです。戦い続けられる強き強き自分をつくるのです。鍛えあげられた、その強き境涯が本当の永遠性の「随喜」です。信心があれば、何があろうと、生命の根底が歓喜になる。希望になる。確信になる。そして、勇んで、悩める人のもとへ飛び込んでいって、自他ともに「随喜」の当体となっていけるのです。

 

(中略)

遠藤 随喜功徳品の後半も、御本尊の大功徳として読むべきです。五十展転の説法の後、三段に分けて功徳が説かれています。まず第一は、必ず物質的な幸福を得るということです。(中略)第二は、指導者となる福徳です。(中略)帝釈、梵天、転輪聖王になる。今で言えば、会社なら部長、社長などに、あるいは地域のリーダーに、そして妙法流布の指導者になっていく。それぞれの立場で、リーダーとなって活躍できるということです。

 

池田 そう。法華経は将軍学です。広宣流布に励む今の訓練が全部、生々世々、大指導者となる原因になっているのです。仏法には一切、無駄がないのです。

 

遠藤 第三は、智慧が豊かになり、色心ともの健康をもたらす功徳です。(中略)

 

斉藤 経済的にも、精神的にも、肉体的にも、そして、智慧も福徳も、すべて人がうらやむほど、自在の境涯になれるということですね。

 

池田 最後は全部、所願満足となるということです。人生、山あり谷あり、しかし信心をやり通していけば、最後は「これで一番よかったんだ」という黄金の境涯になれるのです。広宣流布に連なる労苦は、あたかも小さなマッチの火が広大な草原に広がっていくように、宇宙大に広がる大功徳となっていく。

 

 

北海道の筆者の地元は、零下の凍れ(しばれ)が続きますが、氷雪も溶かすような広布への情熱で、この冬を乗り越え、春を呼び寄せていきます! 末尾に学会歌の動画を2つ載せます。

 

 

 

 

 

 

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コメント

  1. ラン より:

    レオさん10時間唱題お疲れ様でした!
    「御本尊を拝するということは、全宇宙を見わたし、見おろしていくようなものです」

    改めてすごいご指導ですね!
    勇気がわいてきました、ありがとうございます✨

  2. レオ レオ より:

    ランさんも毎日の戦いお疲れ様です。
    先生のご著作から、あたかも先生と対話するような思いで、励ましと勇気を頂いています。
    いつもコメントとお心遣い、誠にありがとうございます。