天は五衰を受く

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天はごすいをうく と読む。
天(界)には5つの衰【おとろ】えがあるとの意味である。
詳しくは仏教哲学大辞典で「五衰」に載っているので、お調べ頂きたい。

別な御文として、
「魔は天界に住む」
とも言われる。

いづれも天界のもろさ、危うさ、永続性の無さ、を指摘した言葉だ。

話を転じて、大聖人はご自身の生涯を次のように述懐されている。
山に山をかさね、波に波をたたみ、難に難を加え、非に非を増すべし

すなわち次から次へと難がおそいかかり、道理に背いた非難・悪口罵詈がますます増えるばかりであると。
大聖人は御生涯を通じて、どうしてあれほどの大難に遭われ、乗り越えていく必要があったのであろうか。

一面から言えば、次から次へと功徳だけを得て、言わば天界の喜びにひたることが、信心の目的ではないということが言える。
そこには何の鍛えも無いからである。

大きな「蔵の財」「身の財」を一時的に得て、これ以上無いとの喜びに浸ったとしても、それら財を失ってしまえばもろくも崩れ去る喜びでしかない。
財を守りたいがために、周りの人や身内へさえも猜疑心【さいぎしん】をつのらせるだけだとしたら、財が不幸の因にさえなってしまう。

それら低い財を得ただけの喜びは、結果として五衰を受け、魔が設けた落とし穴にはまる、敗北の人生となる場合が多い。
自ら困難を呼び起こし、困難に真正面から立ち向かい、困難を乗り越えたところに得られる幸福こそ本物である。
自己の生命の鍛錬なくして、真実の幸福はないのである。

広宣流布という大目的への遠征においても、功徳だけにとらわれて、言わば砂糖を舐めているような人生の人に、眼前で悩み苦しむ友に同苦し励ますことなどができるだろうか。
苦労に苦労を重ねてきた人、それらを乗り越えてきた人こそが、苦労している人を励まし、希望を与えゆくことができるのである。

もちろん人生も社会も厳しい、生きることは誰しも戦いだから、大なり小なり苦労はつきものである。
要は、功徳を得る目的は何であるのか、功徳を何に使い役立たせていくのか、が大事なのである。

当然ではあるが、末法の御本仏の大境涯を、そのまま私たちに当てはめるのは、無理がある場合もあろう。
また、功徳の実証を勝ちとることにより確信を増し、朗らかに前進していくことは非常に重要であり、このことを否定するつもりなど全く無い。

難来たるをもって安楽と心得べきである

との御文が胸に迫ってくる今日この頃である。

一流のサーファーは大きな波を求めて、多大な費用をかけて、世界中を渡り歩くという。
目の前の困難にひるみ逃げる臆病ではなく、自ら求めて大きな困難に挑戦しゆく勇気の人生こそ、真の仏法者の生き方ではないか。

どこまでも鍛え上げられた強い自分であれば、どんな困難の波をも悠々と楽しんでいけるのである。

そのためにも、いかに強い樹木でも1本だけだと、大風に倒れてしまうものだから、強い添え木である善知識の集いに求めて参加することが、信心の大事な秘訣である。
(平26.3.17 一部分、加筆しました)

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