大慢の者は敵にしたがう

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日蓮大聖人が繰り返し繰り返し仰せの御金言に、こうあります。

「心こそ大切なれ」
「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」

決して次のようには仰ってはいません。
「折伏した人数こそ大切なれ」
或いは「唱えた題目の時間こそ大切なれ」
とは言われてはいないのです。

折伏は難事中の難事であり、題目は簡単なようでいて最も難しい修行です。
しかしそれをいいことに、「俺は折伏を何世帯やったから」 或いは「私は題目を何千万遍あげたから」と言って、もし慢心を起こし、広布を阻む言動を弄【ろう】したり、ましてや学会に弓を引くような輩が出る場合があります。

それは上記の他にも、自分の役職や教学、或いは世間の地位・名声などの名聞名利に捉われた場合もあり、自分は特別な存在と思い込み、いつしか清浄な信心が解らなくなってしまった輩なのです。
御書に、
「大慢の者は敵にしたがう」
とある通りなのです。

こと信心に関しては、愚直なまでにやった者が勝ちです。
へたなプライドや己の知恵・能力などを過信し、素直に実践しない者は、長い目で見ると網の目からこぼれ落ちるように敗北していきます。

愚直とは、愚かなまでに真っ直ぐにという意であり、はたから見ると愚かしく見えるまでに素直に実践した者が、最後は勝つのです。

たくさん折伏した人は確かに、誰よりも愚直に実践し切ったからこそ、そうした成果・結果を出せ、多くの人を救うことができたはずです。
しかし、だからこそ、人々の模範となるべきであり、大慢を起こして敵にしたがうような言動はあってはならないのです。

また別の観点もあります。
一般には従順で大人しい人よりも、生意気なくらい人の方が、あいつは骨があると、一目置かれる場合も多いです。
若い時は喧嘩に明け暮れてたようなやんちゃ者が、長じて政治家などになって活躍するようなケースも見聞きします。

世間では愚直な人というと、地味であるとか、何か損なイメージがあります。
しかしこと信心に関しては、愚直なまでに戦うことが第一なのです。

かと言って、なにも愚直をひけらかし、わざと愚直に見せる必要などありません。
人間の美点の1つとしての謙虚さの現れでもあります。
はったりや大言壮語というのは、実は力が無い証拠なのです。

慢心にも偏らず、委縮するのでもなく、桜梅桃李とある如く、無作の自分に生き、最高に輝かせていくことが大切であり、それを実現し切れるのが妙法なのです。

(4月27日加筆)

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