今年、唱題352万遍

御書・教学
初代会長 牧口常三郎先生
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初代会長 牧口常三郎先生


昨日の創立記念日までで今年は352万遍の唱題を行ないました。昨年の同じ日に比べると、今年の方が23万遍多いです。自分のこれまでの人生で、最も多く題目があがっています。もちろん題目はただ数さえあげればよいのではありません。仕事はもちろん、学会活動、折伏実践などをおろそかにして、唱題ばかりしているとすれば、それは厳しく言えば、為すべき課題から逃避する隠れ蓑【かくれみの】にしているに過ぎないとのご指導もあります。

全ての課題に果敢に挑戦していく原動力こそが唱題です。その意味であえて誤解を恐れず言えば、唱題は御本尊に向かっていない時間にどう行動するかが大事です。いくら御本尊の前では真剣に唱えたとしても、生活の上で道理に反する行動や、御書や学会指導と反対のことをしていれば、功徳は顕われないからです。

一分一秒、瞬間瞬間を大切に生きてこそ、御本尊に向かった時にピシッと一念のこもった題目になるのです。と言ってもこれは一瞬も休むな、無理をせよ、ということでないのは言うまでもありません。適宜、休養をとるのも戦いの内です。改めて真剣に取り組んでいきます! ここで、題目の重要性をご指南された御書等を再び拝読します。

わざは(禍)ひも転じて幸(さいわい)となるべし、
あひかまへて御信心を出し
此の御本尊に祈念せしめ給へ、
何事か成就せざるべき
(経王殿御返事p.1124)

南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事
尤(もっと)も大切なり、
信心の厚薄によるべきなり
仏法の根本は信を以(もっ)て源とす
(日女御前御返事p.1244)

所詮・妙法蓮華経の五字をば
当時の人人は名と計(ばか)りと思へり、
さにては候はず体なり
体とは心にて候、
(中略)
妙法蓮華経と申すは文にあらず義にあらず
一経の心なりと釈せられて候、

されば題目をはなれて
法華経の心を尋ぬる者は
猿(さる)をはなれて肝(きも)をたづねし
はかなき亀なり、

山林をすてて
菓を大海の辺(ほとり)にもとめし
猿猴(えんこう)なり、
はかなしはかなし。
(曾谷入道殿御返事p.1059)

此の本尊の功徳無量無辺にして広大深遠の妙用有り、
故に暫くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば
則(すなわ)ち祈りとして叶わざる無く
罪として滅せざる無く
福として来たらざる無く
理として顕れざること無し
(日寛上人『観心本尊抄文段』から)

今年は今のペースであげていけば、1年間で400万遍突破となります。我が人生で初の快挙です。何点かどうしても叶えたいことがあるので、一歩も引く訳にはいきません。あげられる時に心ゆくまであげておきたいと思います。

(令1.11.20 加筆しました)

 

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