人を育てる(1)

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人は手塩に掛けて育てた分しか育たない

と私は思います。
これは何も過保護や過干渉をせよ、ということではありません。
子育てにおいても、広く人材育成においても、細心の注意を払って手を掛け心と愛情を掛けて育てないと、人は育たないものです。

反対に、手を抜いて自由気ままに放任して育てられた人は、いざという時に発揮すべき人間力がぜい弱なため、大きな活躍や貢献がなかなかできない。

かくいう私も子どもの頃から、両親が仕事等でほとんど家に居ず、ほったらかしでしたので、子ども心に随分と寂しい思いをしたものです。
いつも幼い妹と私の2人で、留守番をしていたのを、今でも時々思い出します。
(お陰で女の子のアニメ主題歌――例えば『アタック・ナンバーワン』など――今でも何曲か憶えています)

人より長目に受けた学校教育のお陰もありますが、何よりも学会員として受けてきた訓練には、本当に感謝しています。
こんな歪【いびつ】な育ち方をした自分でも、こうして何とか全【まっと】うな人間として生きることができ、リーダー的な役割も担わせて頂けるまでになれたからです。

学会の中で薫陶され育てられてきたからこそ、曲がりなりにも今持っている人間力を身に付けることができました。
学会は「校舎無き総合大学」との言葉にあるように、どれほど多くの人々を育ててきたのでしょうか。
本当にすごいことだと思います。
今やその連帯は192カ国・地域までに広がっています。

話を「人を育てる」に戻しますが、こういう私が民間の教育に20年ほど携わった経験を通して達した1つの結論が、「人は手塩に掛けて育てた分しか育たない」ということです。
多分にこれは成功体験の結果というより、これまでの失敗の積み重ねが言わせている部分が、我ながらあるのではと思います。

また育てられる側から見てみると、泣きながらでも食らいついていった者が、長い目でみると生き残り、かつ大きな成長を遂げているものです。
自己の傲慢と浅知恵で訓練を避けた者は、長い目でみると大きく後れをとり、この両者の差は歴然たるものとして表れてきます。

「教育は聖業」とも言われます。
先生は「私の最後の事業は教育である」と仰っています。
教育には時に恐れを感じさせるような局面があるかと思えば、深い喜びというか教師冥利に尽きるような時もあります。
人を育てることは己を育てることにも通じる「共育」との考え方もあります。

高度に複雑化した現代社会にあって、「生涯教育」が叫ばれて久しい時が過ぎています。
常に自ら謙虚に貪欲に学ぶこと、良き知恵・知識を次世代に継承していくこと、の2つは車の両輪のように欠くことはできない、人としての重要な努めと言えましょう。

(続きます)

 

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