乞眼の婆羅門(2)

この記事は約2分で読めます。

その前提の上で、「怒りは善悪に通じる」と ある通り、悪に対して見て見ぬふりをし何も言えない「お人よし」であってはいけません。勇気を出して悪を責め、糺【ただ】していくべきです。ですから「乞 眼の婆羅門」に対して、その卑劣な心を責め、注意すべきなのは当然です。相手は魔王が入其身【にゅうごしん】していますので、素直に聞いて反省することは ないでしょう。悪びれずに悪態をついてくるかもしれませんが、その悪心を糾弾するだけでなく、法を説いて諭【さと】すことさえ可能かもしれません。

さらに大事なことは「これは魔王の謀【たばか】りではないのか! 決して負けてはならぬ!」という、魔を魔と見抜く透徹した信心の眼を持つことです。常に油断と慢心を排し、信心を研ぎ澄ませていないと、魔を見抜くことはできません。強盛な信力はもちろん、魔を見破り乗り越えるための行力、そして教学力も必要でしょう。

もう一点は、「乞眼の婆羅門の責め」のようないざという「まことの時」に、負けないで乗り越えられる信心を培うためには、何もない普段にどれだけ信心の戦いができるかが大事です。常日ごろの愚直なまでの積み重ねが、いざという時に自分を守る結果として現れ、試練を乗り越える原動力となるのです。

最後に挙げたいのは、どこまでも師を求める心が、自分の信心を正道から踏み外させない防波堤となるのです。「乞眼の婆羅門の責め」に匹敵するようなことが自分の身に起きた時に、弱き自分の心に随ってしまえば、信心を貫くことは不可能です。こういう同じことに遭遇したら、「師匠であればどうされるだろうか」ということを、常に追究していく姿勢が大事です。

 

ご投票宜しくお願いします↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村


コメント

タイトルとURLをコピーしました