2024年は間もなく暮れようとしています。皆さんにとって今年はどんな一年でしたか。今年も様々な広布の戦い、仕事や生活との闘争、人生の多くの出来事がありましたね。
日々のActionリストを記入するようになって長いですが、たまに振り返って見てみると、非常に密度の濃い一日一日を送っていて驚くことがあります。過ぎてしまえば過去の思い出ですが、それらの積み重ねが年輪となり、今の自分の境涯を形作っているのですね。
ところで本日、10時間唱題を単独で行ないました。合計で31回目となりました。ぜひとも叶えたいことが幾つかあったためです。クリスマスの日ですが、偶然の一致で他意はありません。少し前から「いつ行おう」と延び延びになっていたのが、たまたま今日になりました。
今回もたっぷりと、心ゆくまで祈ることができました。自己の課題から、全世界の平和と安穏まで。一年の締めくくりとしては、最高の10時間となりました。本ブログの読者の皆さん、今年も大変にありがとうございました。心より御礼申し上げます。よいお年をお迎えください。ここで、御書と先生のご指導を紹介します。
●治部房御返事(新版2027㌻)
その上、世間に人の大事とすることは、主君と父母との仰せなり。父母の仰せを背けば不孝の罪に堕ちて天に捨てられ、国主の仰せを用いざれば違勅(いちょく)の者と成って命をめさる。されば、我らは過去遠々劫より菩提をねがいしに、あるいは国をすて、あるいは妻子をすて、あるいは身をすてなんどして、後生菩提をねがいしほどに、すでに仏になり近づきし時は、一乗妙法蓮華経と申す御経に値いまいらせ候いし時は、第六天の魔王と申す三界の主おわします。
「すでにこのもの仏にならんとするに二つの失(とが)あり。一には、このもの三界を出ずるならば、我が所従の義をはなれなん。二には、このもの仏になるならば、このものが父母・兄弟等もまた、娑婆世界を引っ越しなん。いかがせん」とて、身を種々に分けて、あるいは父母につき、あるいは国主につき、あるいは貴き僧となり、あるいは悪を勧め、あるいはおどし、あるいはすかし、あるいは高僧、あるいは大僧、あるいは智者、あるいは持斎等に成って、あるいは華厳、あるいは阿含、あるいは念仏、あるいは真言等をもって法華経にすすめかえて、仏になさじとたばかり候なり。
法華経第五の巻には、「末法に入っては大鬼神、第一には国王・大臣・万民の身に入って、法華経の行者を、あるいは罵り、あるいは打ち切って、それに叶わずんば、無量無辺の僧と現じて、一切経を引いてすかすべし。それに叶わずんば、二百五十戒・三千の威儀を備えたる大僧と成って、国主をすかし、国母をたぼらかして、あるいはながし、あるいはころしなんどすべし」と説かれて候。
●新・人間革命 第23巻「敢闘」の章
山本伸一の言葉は、参加者の魂に、深く突き刺さっていった。
「学会は、世界でただ一つの、純粋なる真実の仏意仏勅の教団です。それゆえに、御聖訓に照らして、邪悪の徒らによって、攪乱されるような事態を迎えるかもしれない。しかし、鳳雛会の諸君が、地中で竹が根を張り、深く結び合っているように、強く結合し、団結して立ち上がり、広宣流布を進めていっていただきたい。もしも、今後、創価学会の前進が、一歩でも、二歩でも、後退するようなことがあったならば、その全責任は諸君にある。諸君が、だらしないからである。一切は、諸君の責任であることを、今日は、宣言しておきます」
それは、伸一の生命の叫びであり、広宣流布の厳粛な付嘱の儀式を思わせた。どの顔も、緊張していた。固唾をのみ、ぎゅっと拳を握り締める青年もいた。
「諸君は、創価学会の真実の子どもです。本当の私の弟子であり、学会の王子ともいうべき存在です。その王子が、無慈悲であったり、意気地がなかったりしたならば、かわいそうなのは学会員です。民衆です。まずは、次の十年をめざし、創価学会の一切を引き受け、全責任を担うとの精神で、雄々しく、進んでいっていただきたい」
伸一と共に、この大会に出席していた最高幹部たちは、ただ、驚いて、彼の指導を聞いていた。鳳雛会のメンバーは、この時、年齢的にも、役職的にも、まだ創価学会の全責任を担うような立場ではなかったからである。しかし、伸一は、自身の体験のうえから、本気になって立ち上がるならば、年齢や立場に関係なく、彼らは、学会の全責任を担い得ると確信していたのである。
師の戸田城聖が、事業の破綻から、学会の理事長を退いた時、伸一は、“必ず、先生に会長として広宣流布の指揮を執っていただくのだ!”と心に決め、ただ一人、厳然と師を守り、師子奮迅の戦いで活路を開いていった。それが、22歳の時であった。
(中略)
その伸一の激闘によって、難局を乗り切った戸田は、晴れて、第二代会長として、広宣流布の指揮を執ることになるのである。また、伸一が蒲田支部の支部幹事として折伏戦を展開し、一支部で201世帯の弘教を成し遂げたのは、24歳の時であった。この戦いによって、戸田が会長就任式の席上、生涯の願業として掲げた、会員75万世帯達成への突破口が開かれたのである。さらに伸一は、25歳で文京支部長代理となる。彼の奮闘は、低迷していた支部を、やがて第一級の支部へと発展させていく。伸一は、いまだ年も若く、全学会を率いる立場ではなかった。しかし、戸田の構想の実現を、わが使命と定め、組織の一角から、未聞の大勝利という烽火を上げ、広宣流布の突破口を開き続けてきたのである。
年が若いから、立場を与えられていないから、権限がないから、時間がないから……など、力を発揮できない理由をあげれば、常に、枚挙にいとまがないものだ。広宣流布という仏意仏勅の使命と責任を果たしゆくには、年齢や立場など、問題ではない。大宇宙を己心にいだく信心の世界、仏の世界では、そんなことは、なんら障壁とはならない。
それらを理由に、力が発揮できないという考えにとらわれた時、自らの無限の可能性を放棄してしまうのだ。それこそが、魔に敗れた姿である。要は、師弟不二の自覚と祈りと実践があるかどうかである。それを実証してきたのが、ほかならぬ伸一であった。
彼は、二十六歳で青年部の室長になると、実質的に学会の全責任を担った。1956年(昭和31年)、28歳の時には、関西の地にあって、一支部で一カ月に、一万一千百十一世帯の弘教を成し遂げるなど、常勝関西の不滅の金字塔を打ち立ててきたのだ。
“鳳雛会は、私の弟子ではないか! つまり、皆が山本伸一の分身ではないか!” “山本伸一”とは、師と共に広宣流布に生き、勝利の旗を打ち立てる闘士の異名だ。伸一は、そう信じるがゆえに、今後、創価学会の前進が、後退するようなことがあれば、「その全責任は諸君にある。諸君が、だらしないからである」と、言明したのだ。彼のその思いは、女子・鳳雛グループに対しても同じであった。
(中略)
伸一は、鳳雛会に限らず、すべての人材育成グループは、いな、すべての同志は、広宣流布の使命を共に分かち合う“山本伸一”であると確信していた。彼が、各種の人材育成グループを結成してきた目的の一つは、その自覚を促すための契機をつくることにある。ゆえに、いかなるグループのメンバーに選ばれようが、本人が自覚をもとうとしなければ、人材育成のための周囲の人たちの努力も、水泡に帰すことになる。自覚――それは、本来、「自ら覚(かく)す」、すなわち、自ら悟りを開くことを意味する。われらの自覚とは、戸田城聖が獄中で悟達したように、自身が地涌の菩薩であると確信し、生涯、師弟不二の心で、広宣流布の大願に生き抜くことだ。全人類の幸福と平和の実現を、わが使命とすることだ。その時、自らの幸福のみを願っていた生命の扉は開かれ、崇高なる“利他”の大道が広がるのである。そこに、境涯革命、人間革命の直道があるのだ。まさに、“地涌の使命”の自覚は、偏狭なエゴイズムの対極に立つ、人間の生き方の確立であるといってよい。
(中略)
伸一は、同じ円形テーブルに着いた(伸一会の)十人ほどのメンバーの、近況報告などに耳を傾けながら、種々、指導を重ねた。「昨日は、私の入信記念日でしたが、二軒のお宅を訪問し、一人ひとりを真剣に激励してきました。君たちも、誰が見ていようがいまいが、一兵卒となって、会員のために汗を流し、懸命に励まし、学会を守り抜いていくという姿勢を、忘れないでいただきたい。諸君は、既に学会の中核であり、これから多くの人が、さらに、副会長などの要職に就いていくでしょう。さまざまな権限をもつようにもなるでしょう。最高幹部になっていくのは、学会を守り、会員に奉仕し、広宣流布に尽くしていくためです。
しかし、なかには、最高幹部という地位を得ること自体が目的となったり、自分の野心を実現するために、学会を利用しようとする人間も出てくるかもしれない。もしも、そうした人間に、いいようにされたら、学会の正義は破壊され、仏法は滅びてしまう。純粋な学会員がかわいそうです。
君たちは、そんな人間に、絶対になってはならないし、そうした人間がいたならば、徹底して戦うんです。また、金銭の不正、飲酒、異性の問題などで、人生の軌道を踏み外すことのないよう、自らを厳しく戒めていかなければならない」
厳しい口調であった。伸一は、未来のために、青年たちの胸中深く、信仰の王道を打ち込んでおきたかったのである。
「学会も組織である限り、皆が皆、中心者になるわけではない。脚光を浴びる立場から外れる場合も、当然ある。実は、その時に、人間の本性が現れ、真価がわかる。それをきっかけに、組織から遠ざかり、やがて、離反していく者も出るかもしれない」山本伸一のテーブルにいるメンバーは、緊張した顔で、彼の話を聞いていた。
「自分に光が当たらなくなると、離反はせずとも、ふてくされたり、勝手な行動をとる者、傍観者を決め込む者も出るでしょう。私は、戸田先生の時代から、傲慢な幹部たちが堕ちていく姿を、いやというほど見てきました。地道な活動をせず、威張りくさり、仲間同士で集まっては、陰で、学会への批判、文句を言い、うまい儲け話を追い求める。そういう幹部の本質は、私利私欲なんです。結局、彼らは、金銭問題等を起こし、学会に迷惑をかけ、自滅していきました。皆、最後は惨めです。仏罰に苦しんでいます。仏法の因果は厳しい。人の目はごまかせても、仏法の生命の法則からは、誰人も逃れられない。
人間革命、宿命転換、一生成仏のための信心です。それには、見栄、大物気取り、名聞名利の心を捨てて、不惜身命の精神で戦う以外にない。広宣流布への師弟不二の信心を貫き通していくことです。遊び、ふざけなど、絶対にあってはならない」
伸一は、祈るような思いで語っていった。
「生涯、一兵卒となって、広宣流布のため、同志のために、黙々と信心に励んでいくことです。唱題に唱題を重ねながら、会員の激励に、座談会の結集に、機関紙の購読推進に、弘教に、地を這うように、懸命に走り回るんです。それが仏道修行です。それ以外に信心はない。勇ましく号令をかけることが、信心だなどと、勘違いしてはならない。模範の一兵卒たり得てこそ、広布の大リーダーの資格がある。私は、君たちが五十代、六十代、七十代……と、どうなっていくか、見ています。人生の最後をどう飾るかだよ。大事な、大事な、中核の『伸一会』だもの、創価の師弟の大道を全うして、広宣流布の歴史に名前を残してほしい……」
彼の「伸一会」への期待は大きかった。一人も堕ちていくような人間を出したくなかった。だから、信仰の王道を訴えたのだ。
●過去のアーカイブ記事から。
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