2年前にまた一つ願いが叶いました。子どもの頃に見たアメリカのドラマを、ブルーレイの高画質で再び見てみたいという願いです。そのドラマは『ルーツ Roots』という、大変に感動的な物語です。次の画像は半額以下の安売り時に購入した、ブルーレイBOX(3枚組)です。
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以下はウィキペディアの抜粋です。
『ルーツ』(Roots)はアレックス・ヘイリー原作の小説『ルーツ』(原題:Roots: The Saga of an American Family)を基にした、1977年制作のアメリカ合衆国のテレビドラマである。(中略)アメリカという国家の歴史上、最も暗い側面のひとつである黒人奴隷の問題を真っ正面から描き、社会現象と言えるような大反響を巻き起こした。ドラマが放送されると、中には部屋の電話線を抜いて着信を絶ちドラマに見入る者も現れ、キジー(Kizzy)などアフリカの名前が人気になるなど、人種・民族を問わず好評を博した。
(中略)
作品自体高い評価を受けてプライムタイム・エミー賞 作品賞 (ミニシリーズ部門)を受賞した。アメリカではABCが1977年1月23日〜30日に8日連続で放送、平均視聴率44.9%を記録した。日本ではテレビ朝日が1977年10月2日から8日連続で放送、平均視聴率23.4%を記録した。
以下は予告編等の動画ですが、ブルーレイはこれらに比べれば、格段に画質が良いです。
なお、原作者のアレックス・ヘイリーは『ルーツ』で、ジャーナリスト等に贈られる、アメリカ合衆国で最も権威あるピュリッツァー賞を受賞しています。1977年10月放送ということですから、もう約半世紀も経つんですね。その時、私は中学1年生でしたから、この物語の深い意味は余り解らなかったと思います。しかし不思議なのは、何十年も経ったのに憶えていたことです。それだけ当時見た印象が鮮烈だったのでしょう。
いま改めてブルーレイを見直してみると、アフリカから奴隷として、遥か遠くアメリカに送られて来た黒人青年・クンタ・キンテの、過酷な人生から物語は始まります。その子孫4代200年にわたり、奴隷として虐げられつつも、自由を求め抜き不屈の魂で生きた家族を描いています。殺伐とした現代に生きる私たちだからこそ逆に、途中、何度も涙なくしては見れないドラマだと思います。
人種差別でも、いじめでも、あらゆる差別は、「差別する側」と「差別される人」がいます。差別する側にいる人間は、差別される人間の心身の苦痛を、理解することも実感することもできません。自分は強い立場だから、安全圏にいるからとの誤った過信があるのでしょう。しかし本当は、人を差別し苦しめる行為を平然と行うこと自体が、他の誰でもない、自身の生命を傷つけていることに気づいていないのです。池田先生の『希望対話』に次のようにあります。
「いじめられているから、だめ」なんじゃない。反対です。今、いじめられている君のほうが、将来は偉くなる。幸福になる。いじめた人間は、だめになっていく。(中略)偉い人は、みんな、いじめられてきた。人をいじめて、偉くなった人はいません。格好だけ偉そうに見せても、それは、にせものです。心は砂漠です。全然、偉くない。幸せでもない。いじめられ、いじめられ、それでも「私は負けない!」と行きぬいた人が、最後は勝つ。
(中略)
インドの詩人タゴールは言いました。「人間の歴史は、侮辱【ぶじょく】された人間が勝利する日を、辛抱づよく待っている」と。(中略) 創価学会は「いじめられている人」の味方です。いつも「いじめられている人」のそばにいるのです。「いちばんいじめられた人」が「いちばん幸せになる」ために戦っているのです。70年間、これまでもそうだったし、これからも永遠にそうです。
「日蓮は日本国の東夷東条、安房国の海辺の旃陀羅が子なり」(佐渡御勘気抄 新版1196㌻)と御書にあるように、日蓮大聖人は最下層の身分に生まれたことを、むしろ誇りとされていました。もし、大聖人が身分の高い貴族等に生まれていたら、度重なる大難は無かったでしょうが、800年後の現在の創価学会による正法の興隆は、存在しなかったに違いありません。もし貴族等であれば、民衆に真に同苦することも、励ますことも出来ず、民衆仏法の確立も広宣流布も無かったでしょう。
誰よりも苦しんだ人は
誰よりも人の心がわかる人になる
その人こそが
偉大な使命を果たせるのだ
(青年抄から)
この言葉を心に刻んで、多少の苦労は帆風(ほかぜ)に変えて、また成長の滋養として、歓喜踊躍して進んでいきたいと思います。
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